[天翔艦隊へ]


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爆弾三勇士

作詞:与謝野 鉄幹
作曲:辻 順治

著作権:消滅(詞・曲)

一、
廟行鎮(びょうこうちん)の敵の陣
我の友隊(ゆうたい)すでに攻む
折から凍る如月(きさらぎ)の
二十二日の午前五時

二、
命令下る正面に
開け歩兵の突撃路
待ちかねたりと工兵の
誰か後(おくれ)をとるべきや

三、
中にも進む一組の
江下 北川 作江たち
凛たる心かねてより
思うことこそ一つなれ

四、
我等が上に戴(いただく)くは
天皇陛下の大御稜威
後に負うは国民の
意志に代われる重き任(にん)

五、
いざ此の時ぞ堂々と
父祖の歴史に鍛えたる
鉄より剛(かた)き「忠勇」の
日本男子を顕(あらわす)すは

六、
大地を蹴りて走り行く
顔に決死の微笑あり
他の戦友に遺(のこ)せるも
軽(かろ)く「さらば」と唯一語

七、
時なきままに点火して
抱(いだ)き合いたる破壊筒(はかいとう)
鉄条網に到り着き
我が身もろとも前に投ぐ

八、
轟然おこる爆音に
やがて開ける突撃路
今わが隊は荒海の
潮(うしお)の如く踊り入る

九、
ああ江南の梅ならで
裂けて散る身を花と成し
仁義の軍に捧げたる
国の精華の三勇士

十、
忠魂清き香を伝え
長く天下を励ましむ
壮烈無比の三勇士
光る名誉の三勇士

大阪毎日・東京日日新聞募集当選歌
昭和七年五月
ポリドール3601
陸軍戸山学校軍楽隊唄

 ……毎日、報知、朝日の3新聞社がそれぞれ三勇士を讃える歌を発表したが、この曲がもっともヒットした。
 毎日が歌詞を懸賞募集したところ与謝野鉄幹が応募してきたため、選者の北原白秋(一時期鉄幹の下で活動していた)が困り果てて一等当選にした、という逸話もある。三番の歌詞に問題があるとして軍部から指摘があり、後に作詞者自身の手で改訂されている(例えば当初、三番一節は「答えて『はい』と工兵の」)

 歌の元となった出来事は昭和7年2月に上海の廟行鎮で発生した戦闘であるが、事実とされるいくつかの証言はいずれも歌の内容と異なる。これが美談として取り上げられたため、「爆弾三勇士」が生まれた。


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