[back...]




'07 6/11

 夕食の買い物に出かけたスーパーで、懐かしいものに出逢った。しそ巻きである。

 大学生であった頃のとある夏。当時北海道の大学に通っていた同郷の昔からの友人が、盆の帰省から戻るのにあわせて北海道まで、青春18切符で同行二人と相成った。夜行列車を2本乗り継いで、札幌まで32時間足掛け3日の旅である。

 2日目の夕方、東北本線の列車は岩手県を走っていたように思う。詳しくはもう忘れてしまったけれど、一ノ関か、あるいは盛岡だったか。
 夏の日差しに混雑する車内、体力を消耗してうんざりした気分になっていた頃、駅の売店で友人がこれを買ってきた。ロングシートの車内で乾杯に及んだような気がする。私が飲んだのは持参のポケットウィスキーだったように思われる。何やってたんだか。

 彼は以前にもこれを買ったことがあるようで、この地方の名産だと紹介してくれた。製造場所は山形の米沢だったし、今日買ってきたのもまったく同じであるが。

 その旅をした年の冬、私が再び北海道を訪れたのを最後に、その友人との連絡は絶えて、今もない。

場所:自宅
時刻:入梅前、蒸し暑い晴れた日の夕方


'01 2/16

 『雪国』の冒頭にある有名な一文の後を知る人は少ない。それは、

「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」

と続くのであるが、この『夜の底が白くな』るというような体験をした人もまた少ないであろう。
 それは、夜も室内灯を皓々と照らして走る夜行座席列車、それも冬に雪が積もった地域を走る列車に乗ったことがないと、おそらく分からない筈である。私がその情景に初めて出会ったのは、夜行列車を乗り継いで真冬2月の北海道を旅していた時だった。

 確か、夜の網走から石北本線を早朝の札幌に向かって走る特急「おおぞら」であったように思う。発車したのはすでに夜も更けた頃で、辺りに人家はなく、夜の帳が車窓を覆っている。窓ガラスは漆黒の鏡となって、車内の様子を薄ぼんやりと反射している。座席に伝わるディーゼルエンジンの振動に身を任せ、窓枠に顔を寄せて何を考えるでもなく暗闇の向こう側を見つめていた。
 随分長い時間そうしていたが、ふと目線を下に降ろすと、窓の灯りが線路脇を照らし、積雪が白く反射して鮮やかなモノトーンの対比をなしていた。

 その時、「ああ、これが夜の底が白いということか」とふと気づき、しばらくの間、人気もまばらな車内で一人にやにやと気持ち悪い笑いを浮かべていた。

場所:北海道旭川駅
時刻:真冬2月、よく晴れた深夜


'02 3/13

 旅に出かけたくなる度に、思い出される文章がある。

「国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 ご存知、川端康成の『雪国』であるが、私はかねてよりこの小説の書き出しを、文学史上の最高峰に位置付けたいと思っている。これほどその情景が一瞬にして目蓋に広がる名文が他にあろうか。

 ちなみに、それをうっちゃって鉄道的に解釈すると以下のようになる。

1)温暖な気候と寒冷な気候がトンネル一つ、すなわちわずか山脈一つを隔てて接しているのは、関東−上越地方である。
2)つまり、このトンネルは上越線の清水トンネルである。
3)清水トンネルが開通して上越線が全通したのは昭和6年(1931)、『雪国』が発表されたのは昭和10年(1935)である。
4)清水トンネルは全線直流電化で開通している。
5)よって、『雪国』の主人公を乗せた列車は電気機関車が牽引している。
6)付け加えるなら、それは上越線用に整備されたED16である。
7)当初はループを持つ単線での開通であったが、戦後近くに新清水トンネルが開通して複線になった。
8)清水トンネルは上り側となった為、この主人公と同じトンネルを通って雪国に行くことは出来なくなった。
9)川端康成は新潟県湯沢温泉の「高半」という宿に昭和9年(1934)から3年ほど滞在しているので、少なくとも一往復はED16の牽引する列車に乗っていることになる。
10)太平洋戦争の末期、上越線でED16の牽引する列車が艦載機の機銃掃射を受けたことがあり、機関銃弾の直撃を受けた人体は筆舌に尽くし難い惨状を呈したようだ。
11)全18両が生産されたED16のうち、どれがこれらに該当するかは分からない。
12)一体何が面白いのかよく分からなくなってきたので、この辺でやめておこうと思う。


'06 8/16

 雨振りしぶく夕張から、山を下って苫小牧へ。市街地に入る頃には、雨は低く垂れ込める霧に変わっていた。高層マンションの半ばより上が白いベールに覆い隠されている。体に水の粒子がまとわりついて、ヘルメットの中がじっとりと湿っていく感じがする。

 漁港脇の市場にて。トリ貝の握り寿司\980はいいとして、カニの味噌汁がこのサイズで\300。さすが北海道、スケールが違う。

 市街地を抜けた辺りで再び雨が降り出した。カッパを着るほどでもなかろうと思ったが、行けども行けども苫小牧東港のフェリーターミナルにたどり着かない。ようやく右折の看板が見えてきた頃にはすっかりびしょ濡れになっていた。

 そういえば、市街地から東港までたっぷり20kmはあるんだっけ。

場所:北海道苫小牧市
時刻:盆休みの終わり、台風迫る雨の日


'04 6/27

 峠を越えたその先から、ずっと雨だった。ダム湖に掛かる橋を渡り、湖畔の荒れた道をひた走る。雨降りしぶく泥色のアスファルト、水溜りと路面流を切り裂く飛沫を浴びながら、尾根に沿って曲がりくねった長い道のりが続く。
 空と同じ鉛色の湖面に別れを告げ、暗い緑の林に踏み入ってしばらくすると、土砂崩れによる通行止めの表示が現れた。これは峠を下ってくる辺りから予告されていたので、驚くことではない。

 キーをひねってエンジンの鼓動を止めると、辺りは降り続く雨音の静寂で満たされた。エキパイがしゅんしゅんと細い湯気をゆらめかせている。時折、枝から落ちてくる雨滴が、カッパの上で弾けてぽたり、ぽたりと音を立てる。半径5km以内には私以外の人間は存在しないだろう。そんなちっぽけな優越感と孤独感がじんわりと満ちてくる。
 さて、戻るとしよう。国道まで15kmの長い道のりを。

 。。。ところで、今日はここまで何をしにきたんだっけな。

場所:福井県和泉村
時刻:梅雨真っ只中、しとしと小雨降る昼過ぎ


'06 8/15

 キャンプ場併設のライダーハウスの主人は、小柄で人の良いおばあちゃんだ。その笑顔が見たくて、去年に引き続いて訪れた。近くにはかんぽの宿の日帰り温泉もあって、連日のキャンプ泊に疲れた体を休めるのにちょうど良い。三国峠から層雲峡の辺りで雨が降り始め、土砂降りの中をすべり込んだ。

 食堂の本棚には何十冊ものアルバムがあって、かつてここに泊まった人達の写真が収められている。去年の私も一番後ろのアルバムに写っていた。あれからもう1年。

 アルバムは、最初の方の年は1年で膨れ上がって分厚い1冊になっていた。同じ日付のものが何枚もある。背表紙の年が進むにつれアルバムは次第にやせて、数年前からは2年でようやく1冊をなすようになっていく。日付が毎日入っているのは盆休みと思しき期間だけで、去年の私の後ろには数枚の写真しかない。
 その時は3組4人のライダーと一緒に写真に収まったが、今年はサイクリスト1人だけ。ここを訪れる旅人は、確実にその数を減らしているようだ。

 台風が近づいている。天気予報は明日から週末までの雨天を告げていた。予定を早めて、明日には北海道を離れようと思う。

 また来年、ここに来よう。昨日途中で寄ろうとしたかんぽの宿は、郵政民営化のあおりを受けて閉鎖されていたけれど。

場所:北海道上川町
時刻:昨夜以来の雨も上がってひんやりとした朝


'03 8/10

 出汁の匂いに惹かれて、駅のホームで湯気を立てている一角に足を運んだ。通称「駅そば」と呼ばれる立ち食いそば屋である。
 出費を切り詰めていた学生の頃は、旅行中ほとんど主食をなしていた感があるけれど、ここのところしばらくご無沙汰であった。吹き出てくる汗を拭いながら思う。この前食べたのはいつのことであっただろうか。

 早朝5時、吹雪く青森駅ホームで、今は無き大阪行特急「白鳥」の発車前にすすった天ぷらそば。ふやけた衣に染み込んだつゆは甘く濃厚な関東風であったと思ったけれど、この炎天下であの味を思い出すのは難しい。

場所:兵庫県,播但線
時刻:盆の帰省客もまばらな正午過ぎ


'06 5/3

 満天の星空の下、ぽつりとキャンドルランタンの灯が点る。明かりとしても、暖房としても役には立たないけれど、何故かその炎は暖かい。

 GWの日本海側は、夕暮れ前から少し肌寒さを覚えるほどに気温が下がる。程よく酔いの回った体が降り始めた夜露で冷えないうちに、シュラフへもぐり込むことにしよう。

 明日はどこへ行こうかな。

場所:兵庫県香美町
時刻:夜の帳が下りたGW初日


'03 4/29

 かつて夢の特急列車と呼ばれた時代から四半世紀。車両の形式を示す銘板には、私の生まれた年とほぼ同じ年号が刻まれていた。
 ここが今宵の旅の宿。寝台特急「富士」、いわゆるブルートレインのB寝台である。指定場所は左下。

 目覚める頃には、九州の玄関口まで運んでくれるはずだ。ブラインドの向こう側では、終電間際のホームがこの日最後の喧騒にざわめいている。

場所:名古屋駅3番ホーム
時刻:GW初日に日付が変わる頃

(。。。結局、翌朝まで上段に人が来ることはなかった)


'02 3/12

 すでに流氷はオホーツク海沿岸を遠く離れ、名残り惜しげにその残滓を水平線に留めるのみとなっていた。
 私を乗せてきた1両編成のディーゼルカーが、エンジンの音を轟々と響かせながらホームを去っていく。あとにはかすかな排気ガスの香りと、浜辺に寄せては返す静かな波の音だけ。駅のホームから階段を下り、氷に埋まった線路を横切って波打ち際に向かう。

 去年はもう一月ほど早く来ることが出来たから、流氷に埋もれた海を含めて辺りは一面の雪景色だった。波音は絶えてなく、うねりに押されてか流氷同士が身じろぎして、かすかにきゅっきゅっと恥ずかしがるような音をたてていた。

 流木に腰を下ろし、しばらく灰色の空と鉛色の海の境目を眺めていた、学生生活最後の春。

場所:北海道,釧網線
時刻:春まだき、早春の午後


'05 5/3

 川沿いのオートキャンプ場に設営を終えて、露天風呂で一日の汗を流した後、麓の食料品店まで買出しに出かけた。日は大きく西に傾いて、稜線の向こう側に姿を隠そうとしている。頭上に迫る雪を抱いた山頂から、谷筋を吹き降ろしてくる風が肌寒いほどに涼しい。

 商品棚から適当に見繕ってきたのはおにぎり2個、豚バラ肉1パック、とろけるチーズ1袋、トマト1つにカイワレ1パック。チューハイ1缶は、近くにあった酒屋の自販機で買った。
 昨夜のキャンプ地から持ち越したカップ味噌汁の味噌を少し取り分け、豚バラ肉を味噌焼きとしておにぎりをほぐし入れ、仕上げにカイワレを刻んだものをちらして味噌チャーハンを作った。これを食べながら再び豚肉を塩胡椒で焼き、チーズを載せて缶チューハイを開ける。トマトはそのまま丸かじり。

 藍色の絵の具を溶かしたように、空が東から闇に染まりだした。キャンプ場を取り囲む峰々はすでに空と同じ色に塗りつぶされ、わずかに夕日の残滓を背景にした西の山際が、ようやくそれと判る程度だ。
 一番星が光りはじめた。周囲では何十組かのファミリーキャンパーが、タープの下で楽しげに夕食の準備をしている。子供達のはしゃぐ声が、虫の音を圧して辺りに響く。

場所:岐阜県上宝村
時刻:春、北アルプスの山間に迫る夕暮れ



 左ヘアピンカーブをクリアして、スロットルをしなやかに開いていく。

 2基のデロルト製φ26キャブレターに繋がる2本のワイヤーが、リターンスプリングに抗って、スライドバルブとそれに固定されたニードルを吊り上げる。

 メインジェットからニードルを伝って吸い出されるガソリンは霧となり、シリンダーで激しい往復運動を行うピストンが生み出す負圧によって、吸気バルブの向こう側の燃焼室へ新鮮な空気と共に供給される。

 充分な酸素と燃料を受け取ったエンジンは歓喜の声を上げ、タコメーターの針は文字盤の上を急速に右へと振れていく。

 クラッチレバーを軽く握り、スロットルを少し緩めてシフトレバーを蹴り上げる。クラッチをスッと繋げて再びスロットルを開けると、車体はさらに加速して次のコーナーへと飛び込んでいく。

 車体両側に振り分けられた2本のステンレス製マフラーから、甲高いスモールVツインの協奏曲が、冬枯れの山肌に響き渡る。

場所:愛知県 某所
時刻:寒さの緩んだ暖かい冬の日の午後



'04 7/24

 眼下を流れる川面が映すのは、山の碧か空の蒼か。深い色を帯びて、岩肌と木々の間を静かにゆっくりと下っていく。
 垂直に近い岩壁の中ほどに刻まれた国道は、ようやく車がすれ違えるだけの幅しかない。壁の凹凸に合わせて左右にステップを踏み、ハンドルを切り返しながら、杉と檜の木立の間を川の流れに沿って下る。単気筒の排気音がトトトトと小気味よく辺りを跳ね回っている。

 しばらくすると、古びたコンクリートの柱が道脇に出現した。どうやら、かつてここに架かっていた吊り橋の名残のようだ。いや、ひょっとするとロープウェイかもしれないが。
 彼方に対になって立つ柱は、緑の中に還ろうとしている。あの向こう側には何が続いているのだろうか。もはや、ここを渡る術はないけれど。

場所:和歌山県北山村、R169
時刻:森と清流の中、幾分涼しい夏の日の午後



'05 5/1

 両手一面に広がった、綺麗に区画整理された水田の中をまっすぐに、海岸沿いの県道は北へと伸びる。ちょうど今が田植えの時期なのだろう、水の張られた田圃のそこここで、彩り鮮やかな原色の田植え機ががちゃがちゃと動き回っている。空を映して鉛色の泥田に、若緑色の苗のレースが規則正しく編まれていく。

 波ひとつない水面に辺りの景色が写りこんで、まるで鏡のようだ。車輪でかき混ぜられて濁った黄土色の水から、ツンと湿った土の匂いが鼻をつく。

場所:石川県志賀町r36
時刻:薄曇の広がる昼下がり、まだ少し肌寒い春



'02 12/30

 3両編成のディーゼルカーに、乗客は両手で数えられる程しか乗ってこなかった。年も押し迫った師走の空気だけを乗せて、始発列車は定刻通り高松駅を発車した。

 身の引き締まるような、白い冷気が街並みを覆っている。窓ガラスに顔を近づけると、すぐに吐息で白く曇った。藍色の山の稜線は薄っすらと紅色に染まり始め、夜明けが近いことを告げている。
 時折踏切の音が近づいてきて、間延びしながら消えていく。エンジンの音とレールの継ぎ目を渡る音を響かせて、列車は郊外の住宅街を走る。

 何も用事はないけれど、汽車に乗ってあの山の向こうへ行ってみようと思う。

場所:香川県高松市、高徳線
時刻:寒さ厳しい冬の日の出前



'05 6/19

 ようやく路肩に止められそうなスペースを見つけて車体を寄せ、エンジンを切ってヘルメットを脱いだ。風はない。エキゾーストノートに慣れた耳に、静けさが痛い。
 川向こうの景色は、白いもやのベール越しにかすんで見える。辺りを包むじっとりとした熱気は、緑の匂いを含んで幾分爽やかに感じられる。眼下に流れる川の水音が、やけに遠くから聞こえてくるようだ。

 この県道沿いには、対岸の見上げるような位置にいくつかの集落が点在している。あの場所に住む人達は、どんな日常生活を送っているのだろうか。そもそも、最初にあそこに住居を構えたのには、どのような理由があったのだろうか。私はただの通りすがりで、傍観者に過ぎないのだけれど。
 限界集落。そんな単語がふと思い浮かんだ。

 ヘルメットを被ってセルを回し、エンジンに火を入れる。清流の静間に、単気筒の排気音が木霊する。

場所:愛知県富山村、r1
時刻:梅雨入り直前、蒸し暑い曇りの日の午後



'05 8/13

 日差しは鼻の頭をじりじりと焼くが、頬を撫でていく風は冷やりとして気持ちが良い。
 まっすぐに伸びた道路の果てに、時折ぽつりと対向車が現れる。辺りに人家が見られなくなってから、もう何キロ走っただろうか。

 山の稜線は穏やかな丸みを帯びており、視界一杯の青空の下、快調にオドメーターを刻んでいく。昨日走った宗谷方面の、両脇に迫る急峻な岩壁で切り取られた空とは違い、開放感に溢れている。
 空の蒼、山の碧、雲の白。Vツインの奏でるエクゾーストノートが、遠く彼方へと吸い込まれていく。

 そういえば、紋別のコンビニで出会った中学生くらいの男の子は、今朝旭川を発って紋別の親戚の家まで行く途中だと言った。ざっと見積もっても100km以上ある筈だが、彼はあの小さな折りたたみ自転車でこの先の峠を越えてきたのだろうか。

場所:北海道紋別市、R273
時刻:シールド越しに真夏の太陽が眩しい正午過ぎ




[back...]