[back...]



ソロツーレポ。

独白調。

(この文章は事実を元に再構成したフィクション、ということにしておきます)


7/23 晴のち曇
 慣れない大量の荷物は、パッキングに予想外の手間を取らせた。キャリアと後部シートに積み上げられたそれを蹴り飛ばさないように、右足を大きく振り上げるようにしてシートに跨ったのは午前6時半を少し回った頃だった。

 セル一発で鼓動を始めたエンジンの機嫌をアイドリングスクリューでなだめつつ、ギアを踏み込み、クラッチを繋いでアパートの駐車場を後にする。
 太陽はとうに地平線を離れ、夏特有の青い空と白い雲の中から、強い日差しを地表に注いでいる。大気はすでに熱を帯びて、じっとりと体にまとわりつく。

 わずかながら行き交う車が姿を見せ、活動を始めたばかりの街を横目に、高速道路のインターを目指して単車を走らせる。
 後ろに積んだ荷物は加減速と右左折で大いに存在感を発揮し、慣れない感覚に少し戸惑う。さて、全部で一体何キロあるのだろうか。

-***-

 快調に飛ばして伊勢湾岸道に入る。ほとんど風もない。名古屋港を跨ぐ白・青・赤の三連の斜張橋、名港トリトンは白くぼんやりとした気体に覆われていた。1km先が見えるか見えないかで靄と霧が分かれるそうだから、これは霧ということになるのだろうか。
 冬場は殴りつけるような北風に揺さぶられて通った吊り橋を、100km/h弱で駆け抜ける。弓なりに反り返った橋桁の坂の頂点から、対向車線のぼやけたヘッドランプが次々と現われる。

 時を金で購う代償は、灰色の路面と防音壁、白いセンターラインとガードレールが延々と続く単調な景色。道路は東名阪、伊勢自動車道と名を変えても、その色調に変化はない。走っている車の数は少し増えたけれども。

 伊勢道は実家のすぐ側、東500m程のところを高架で通り過ぎる。見慣れた風景を俯瞰して、その真ん中を二つに割るように高速道路が貫いている。トリップメーターはちょうど100kmに差し掛かろうとしていた。家を出てから1時間半が経過している。

 久居を過ぎる頃からあたりの景色が変わりだす。周囲に緑が増え始め、やがて山の麓に寄り添うように走る。かき分けるように進んでいた熱気の温度が下がり、川や日影を通るたびに肌が冷やりとするのを感じる。
 勢和多気で伊勢道を降りた。コンビニで休憩を取り、R42で南を目指す。

-***-

 穏やかな起伏に沿ってアップダウンとカーブを繰り返し、交通量の少ない2車線路を快走する。右手にJR紀勢線の線路が現われ、しばらく並んでまた離れる。道路の両手から緑が途絶えることはない。
 やがて道路は川が拓いた谷に沿って蛇行を始める。午前9時の夏の太陽が前に後ろに、再び前に回る。狭い平地部を惜しむように、山裾の傾斜に段を刻んで緑田が重なっている。
 よく見れば、川は後ろに流れていた。海に向かって進んでいるというのに。

 この先の峠を分水嶺として、こちら側に降った雨ははるばる伊勢湾まで運ばれ、向こう側は目の前の熊野灘へと流れ込むことになる訳だ。何か運命の分かれ道のような暗示を感じるのは私だけだろうか。

 周囲から人家が消え、併走していた川も国道を橋で渡すと林の中に迷い込んでいった。きつくなる勾配と共に、リズミカルな排気音を奏でていたエンジンの鼓動が力強さを増す。油温計の針がじわりと上方に移動する。

 峠のトンネルを抜けると、海へと通じる道が開けた。



 蛍光色の段差減速帯でべたべたに塗りつぶされたヘアピンを幾つもこなしつつ、じりじりと稼いできた高度を一気に放出して峠を下る。

 カーブ直前でブレーキを開放し、内側ステップに荷重すると車体がいつも以上の速さでスッと倒れ込む。体重をシートに戻し、外足でステップを蹴り上げるようにして膝をタンクに押し付け、前に行こうとする体を支えて定常旋回に入る。
 出口でスロットルを開けても、なかなか車体は起き上がってこない。よりきつい次のカーブは半ばくらいまで後輪ブレーキを引きずりながらクリアする。

 蛍光色の段差減速帯が前輪を揺さぶり、低速を強いられる単車が一層不安定さを増す。これを考えた奴は一度もバイクに乗ったことが無いに違いない。

-***-

 左手に時折海を見ながら、さらに南へと向かう。家を出てから4時間半、もうこの海は熊野灘だ。厳しい日差しは、午前中にも関わらず日影でも誤魔化しようのないほど大気を熱している。信号で止まれば、メッシュジャケットとGパンが肌にじっとりと張り付くのが分かる。

 「尾鷲まで何km」といったようなありきたりのものと共に、熊野古道へのアクセスを示す道路標識を見かけるようになった。そういえば、先日世界遺産に指定されたことを思い出す。確か、高野山などの霊場とひっくるめての登録だった。
 その何kmがついに1ケタになった。この峠を下れば尾鷲市街だ。

-***-

 片側3車線に広がったR42で市街地を通過する。トリップメーターは200kmを少し越えたところだ。
 このまま行けば、矢ノ川(やのこ)峠を越えることになる。ここは帰りに通ることにして、海側の国道R311へと左折した。鉄道と併走するルートである。
 もっとも、勾配の苦手な鉄道はほとんどトンネルの中を通っているのだけれども。

 尾鷲市街を背中に見て、峠へと続く道を登っていく。片側一車線の道路をしばらく走ったが、ヘルメットのシールド越しの視界にもミラーの中にも車の影が見あたらない。

 長いトンネルを抜けて、ちょっとしたワインディングに入った。つづら折のカーブを下る。折りしも空には雲が広がり始め、林の中のひんやりとした空気と相まって涼しいくらいだ。杉の幹が幾重にも織り成す格子を透して、青い海が見えてきた。

-***-

 真新しいトンネルをいくつか通過する。入り口のところで休憩していたサイクリストに軽く会釈して、何個目かのトンネルに入った。



 冷たい空間の中、排気音が湿った壁面に木霊する。

 スロットルを開閉してみると、反響音が高く低く変化して、トンネル全体がまるで音楽を奏でる一つの楽器のように思えてきた。

 音色は出入口までの距離によっても変わるようだ。車通りの途絶えたような道で、暫し独りで単気筒エンジンの演奏を楽しむ。

-***-

 山と海の狭間にある急斜面に道を刻み、入り組んだリアス式海岸の凹凸をなぞるように、R311は南へと続いている。

 時折入り江の奥まったところに集落が現われると、それまでほとんど姿を見せなかったJR紀勢本線の線路が寄り添うように併走してくる。この区間も列車で幾度か往復したことがあるが、景色に関してほとんど記憶がない。この蒼い海だけは印象に残っているけれども。



 海に注ぐ小さな川を跨いだ橋の上で、エンジンを止めた。

 河口までおよそ数十メートル。見下ろすと、川底の砂粒が見分けられそうな透明な海水の中に、魚が群れをなして泳いでいる。

-***-

 道路は広くなったり狭くなったりを繰り返し、木立の間を蛇行する。再び太陽が顔を出し、日差しがアスファルトに照りつける。
 4速から3速、時にはカーブ直前で2速まで落とし、いつもより重い単車を操って曲がりくねった道をオドメーターで刻んでいく。

 リアサスをもう1段硬くしてくるべきだったか。車載工具から下ろしてきたフックレンチを思って少し後悔する。

 再び集落に差し掛かる。海岸線に迫る山肌を削って階段状の僅かな平地を設け、山頂に近い方から順に畑、家、道路となっている。密集した屋根の裾を結ぶ道路には漁船が係留されていて、そこはもう海である。

 一眼レフ片手に何とはなしに辺りを眺めていると、軽快な排気音をたてて、郵便配達の赤いバイクが下り坂のカーブの向こうから姿を現わした。

 自分にとっての非日常が、誰かの日常を内包している。なんだか悪戯を見咎められたような気分になって、非常に居心地が悪い。

-***-

 走り出してしばらくすると、少し開けた場所に出た。街並の上に棚田があり、さらにその上は茶畑になっている。集落を横断して急斜面の頂上まで登ってみた。

 眼下には、綺麗に積まれた石垣のひな壇が広がっている。ふさふさとした緑色の絨毯が敷き詰められていて、目に痛い。

-***-

 R311が尽きて、再びR42に合流する。すぐに南へは向かわず、5kmほど北へ戻ってR309に入ることにした。地図の上ではほんのわずかな距離であるが、間には標高340mの小阪峠が聳えている。

 溝切り、減速帯、荒いアスファルト。路面三悪が揃い踏みした峠道を、ほとんどスロットル全開で駆け上がる。後部に満載した荷物は、元々非力の部類に属する単車をさらに喘がせる原因となっているようだ。それでも後ろから威圧感をもって4輪車が迫ってくる。

 道幅が広がり、現われた登坂車線に逃げて一息。ギアを3速に落として後続車をやり過ごす。トンネルをくぐって下り坂に入り、しばらく進んだところで左折する。

-***-

 大又川を左手に見ながら、流れと共に西へ向かう。走行距離は300kmに達しようとしており、そろそろ給油してもいい頃だ。しばらくして現われた小さなガソリンスタンドに入り、満タンとした。燃費はざっと計算して32km/L。高速を使っているからこんなものだろう。

 道はゆるいカーブを描いて河岸段丘の裾を行く。なだらかな斜面には川と平行に田圃が並び、夏の日差しの下で緑稲が明るく輝いている。大気が湿気を含んで景色が白くかすんで見えるせいか、青暗い山の緑と対照的なコントラストを成している。

 聞きなれた排気音の合間から、清流が堰を下る水音が聞こえてきた。真っ白な太陽が輝く炎天下、その響きが心地よい。道に沿って人家は絶えることがないのに、あたりは不思議と静まり返っている、夏の日の午後。

 家並みの所々、現代様式の住宅に混じって存在する旧宅は、家の周りに石垣を配して長いひさしで囲い、この地方独特の建築様式を持っているように見受けられた。おそらく、雨から家を守るためのものだろう。

 年間最多降水量の記録を持つことで有名な尾鷲地方には、傘の骨が通常より4本多い12本の「尾鷲傘」がある。

 この地方が杉や桧の産地として古くから名を知られることになったのは、この雨が育んだ森林の恩恵によるものであろう。

-***-

 大又川に別れを告げ、R169に入る。狭いトンネルに差し掛かろうとすると、向こうから大型ダンプの轟音が近づいてきた。
 すれ違い出来そうにないので、入り口手前で停車して先に通す。

 片手を上げる挨拶に会釈で返し、クラッチを繋ぐ。

 深緑の湖水をたたえる湖畔を下り、ダムの上を渡る。いくつかの集落をつないで、杉林の縁をなぞるように道は行く。

 左手を流れる北山川は次第に支流を集めて広くなり、森と同じ色の川面がさざなみを立てながらゆっくりと動いている。



-***-

 緩やかな曲線を描いていた地図の等高線が、次第に凹凸を帯びてきた。周囲から人家の気配が途絶える。
 やがて国道はほとんど垂直に見える断崖の中ほどに、彫刻刀で削った切り欠きのような場所を通り始めた。

 いつしか左手の渓谷は、底を見やることができないほど深くなっていた。左右にステップを踏むようにハンドルを切り返しながら、つづら折の延々と続く狭い道を走る。再び空は雲に覆われ始めたようだ。

 灰色の岩肌に反射した単気筒の鼓動は、転げ落ちるように遥か下方へと吸い込まれていく。車通りはほとんどない。

 瀞峡を過ぎたあたりのトンネルを出たところで道は2手に分かれ、案内標識が立っていた。さて、こんなところに分岐はあっただろうか。とりあえず左に曲がったところでウィンカーを左に弾き、路肩の少し広がった場所に寄せて停車した。
 エンジンを切り、地図を広げて確認していると、反対側から来た宅急便の配送車が隣に停車した。「どこへいくの?」

 窓を開けて声をかけてくれたのは若い男性だった。この辺り一帯の道案内を聞いたが、よく分からない。「30分ほど走ると十津川村へ行く」道は、この付近には存在しない筈なのだが。肝心なことは曖昧なまま、少し世間話を交わす。彼は荷物を積んだこの軽トラで、毎日この険しい山道を往復しているのだそうだ。

 結局、地図上で把握していた自分の位置が2kmほど先行していたことに気付いたのは、礼を言って再び走り出してから10分程後のことだった。

 杉林の間を抜ける道が明らかに下り坂に変わると、緑色の川面と白い川原が近づいてきた。そういえば、瀞峡には小学校3年の時に家族旅行で来たことがある。あの時、上流に向かうジェット船から眺めた崖の下の道を、今日は単車で下流に向かう。

-***-

 R169からR168に入ると、道と川を挟んで両側に白い絶壁が聳えていた。思わずその光景に見とれながら走る。今日のキャンプ地、川湯温泉はもうすぐだ。

 川湯温泉のキャンプ場に近づくと、すでに色とりどりのテントが並んでいるのが見えた。少し迷ってから一旦出したウィンカーをキャンセルし、そのまま温泉街へと続く道を走る。さて、どうしたものか。
 とりあえず公衆浴場の位置を確認して、さらに上流のキャンプ場を目指すべくR168に戻る。もっと空いているといいのだけれど。

 さっきからどうも空模様が怪しい。前方に見える山並みは、谷間まで煙のような雲に覆われている。この先では雨が降っているようだ。しばらく走ると、対向車線からバイクの一団がやってきた。全員がカッパを着ている。路線バスもフロントガラスにくっきりとワイパーの拭き跡を残していた。

 意を決してUターンし、先ほどのキャンプ場に戻ることにした。

-***-

 芝生のキャンプサイトはすでに家族連れのテントで埋まっていた。隅の方に手早くテントを立てる。買ってから一度だけ部屋の中で組み立ててみたが、外で張るのは今日が初めてだ。



 設営は思ったより手際よく完了することが出来た。メッシュジャケットはテントの中に放り込み、着替えだけ持って温泉に向かう。半袖ノーグローブで川沿いの道をゆっくりと流す。
 温泉街の外れにある駐車場に単車を止め、ホテルと売店が立ち並ぶ川沿いの道をしばらく歩いた。川原からは子供達のはしゃぎ声が聞こえてくる。そういえば、もう夏休みだ。

 街中の小さな銭湯といった佇まいの公衆浴場は、大人200円で入ることが出来た。観光客はホテルの温泉に行ってしまうためだろう、中には地元の人々と思われる老人が何人かいるだけだった。

 温泉を出て、そのまま近くの酒屋兼スーパーに買出しに向かう。今夜のメニューはレトルトのカレーとミートボールに決まった。キャンプサイトに戻り、米を研いでコッフェルをバーナーに仕掛ける。惣菜のコロッケを食べながらゆっくりと缶チューハイを1本空にすると、ちょうど炊き上がる頃だった。
 ポツリポツリと雨が降ってきたのは、まだカレーライスを全部平らげる前だった。やがて少し雨脚が強まると同時に、雷も鳴り出した。あたりは既に薄暗い。

 慌ててテントに押し込んだ荷物の整理が終わると、何もすることがなくなった。時計の温度計は28℃を越え、テントの中は暑い。ラジオのスイッチを入れてみたが、電波はほとんど入らないようだ。電離層の影響か、韓国語の放送が受信できる。

 ヘッドランプの明かりを消すと、寝袋の上に仰向けに寝転がった。フライシートを雨粒が叩いている。

 遠く、雷の音がする。

(The 1st day Fin.)

 目が覚めると、辺りはまだ暗かった。当然である。午後10時だ。

 眠りに就いてから2時間ほどしか経っていないが、テントの中は猛烈に暑い。顔と胸の辺りに汗が浮かんでいるのを感じる。雨はすでに止んでいるようだ。
 近くのテントで学生の一団が騒いでいる。しばらくすると、近くの川原で花火を上げだした。禁止のはずなのだが、やれやれ。

 再び寝付いたのは、それから随分と経ってからのことだった。

-***-

7/24 晴
 今度は辺りが薄明るい。びっしょりとかいた汗と共に、昨夜の不快感が残って目覚めはよくない。午前6時である。

 お湯を沸かしてコーヒーを淹れる間にテントから荷物を全部放り出し、必要な炊事道具と寝袋を残してすべてパッキングする。お湯の残りに即席麺と昨日買っておいた生野菜サラダを放り込み、3分後に朝食とした。
 谷間に位置するこのキャンプ場に日が差すのはもう少し後のことだろうが、すでに気温はじっとしていても汗がにじんでくるほどに高い。裏返しておけば寝袋もすぐに乾くだろう。

 少し離れた駐車場に止めておいた単車を押して来て、荷物を載せる。テントは畳む時にまだ湿っていたので、防水バックの上に積んでおくことにする。

 最後の仕上げにショックコードで縛り上げ、1時間半を要してようやく出発の準備が整った。目指すは丸山千枚田。

-***-

 しばらくは昨日と同じルートを戻ることになる。R168から169へ、深い谷間の道は未だ日が差してこない。

 途中で右折して、R311に入る。霧が立ち込め、まだ朝の雰囲気を残した山間の小道をゆっくりと走る。山をわずかに削り取って設けられた猫の額ほどの集落が、道の上に下に所々顔をのぞかせている。排気音がひんやりとした空気を叩き、谷間に木霊する。



-***-

 街を抜けてしばらく走ったところで左折し、案内板に従って走る。

 やがて、暗い杉林の間を抜けると一気に空が広がった。左手を見上げれば、斜面を耕して天に至るかと思わせるほどの棚田が続く。
 朝もやを透して幾分柔らかい日差しの中で、未だ実らぬ緑の稲が、朝露に濡れて新鮮な輝きを放っている。



 棚田の間を蛇行する1本の急坂を登っていく。

 静かだ。

 ノーマルの排気音でさえ疎ましい朝の静寂が、谷間に満ちている。

-***-

 展望台で一息ついていると、一人の老女が声をかけてきた。「どっから来なした?」

 名古屋からです、と告げると、感心したように大きく頷いて、「それは遠いところから」と笑顔で答えてくれた。犬を連れて、朝の散歩中のようだ。

 しばらく会話を交わす中で、聞きなれない方言の端々からどうにか汲み取ったところによれば、彼女は生まれも育ちもこの村だが、ある時期に愛知県津島市の紡績工場で働いていたということだ。嫁ぐ以前だそうだから、およそ半世紀は前になろう。

 ふと思う。

 日本の就農人口380万人のうち、過半数を占めるのが65歳以上の高齢者だ。40歳未満は僅か一割強。
 このかくしゃくとした老女が、いつかこの坂を上り下り出来なくなった時、日本の米作りはどうなるのだろう。



 彼女が去ってしばらくして、緑の階段の一画に、ひっそりと棄てられた田を見つけた。

-***-

 この先人達が拓いた緑を抱く谷間の光景が、いつまでも見られることを祈って帰途につく。



 再びR311に戻って東を目指す。路面は穏やかな起伏を描いて、山村風景の中を行く。JR紀勢線の線路を跨線橋で越えると、R42に出た。

 右手には太平洋が広がっている。黒い砂浜が急傾斜で波打ち際に落ち込み、「遊泳禁止」の札が立てられた海岸をいくつも見ながら、車の流れに乗せてゆっくりと流す。熊野市街を過ぎると、昨日通った小阪峠に再び挑むことになる。

 峠を越えてしばらく走った所にあった道の駅に入り、さほど空腹は感じなかったが喫茶店でラーメンを食べた。放っておけば何も食べずにまるまる1日走りかねない私にとって、ちょっとした機会に食事をとっておくのは悪い選択肢ではない。朝食を取ってから3時間が経過している。

 再度車の流れに合流し、その一部となって北を目指す。もうすぐ矢ノ川峠だ。

-***-

 昭和43年にトンネルが開通するまでは、未舗装の旧道をバスが1日数往復するだけであった峠を、国道は一直線のトンネルで貫いている。250cc空冷単気筒の単車は軽快と言えないまでも、さほど苦労することなく坂道を登っていく。
 山腹をえぐったコンクリートの落石覆いをくぐり、急峻な谷に掛けられた橋を渡って、緑の絶壁の間を縫うように走る。地図を見ると、標高は800m近い。周囲の気温も幾分和らいでいるように感じられる。

 全長2km余のトンネルの中は、生ぬるい排気ガスで満たされていた。中央付近まで上り坂になっているため、出口は見えない。行く手の道は、両側の壁に規則正しく配列されたオレンジ色の電灯の間へと、吸い込まれるように消えていく。

 峠を下っていくと、先程までの熱気が蘇ってくる。尾鷲からは、昨日眺めた景色の中を、昨日と同じ暑さと共に走る。

-***-

 紀伊長島で道の駅に入る。露店売りのカキ氷を買って、屋根付きの休憩所で口に入れた。喉を通っていくイチゴ味の氷水が、火照った体に気持ちいい。

 このままR42を戻るのも芸がない。折角だから、熊野灘に沿って北上してみようと思う。道の駅を出て、すぐのところで右折してR260に入った。

 昨日走ってきた道と比べるとややなだらかな、しかし豪快に道の両脇に聳える山々。川に沿って登り、トンネルをくぐって再び川を下る。
 時折、磯の香りが風に乗ってやってくる。海が近い。人家が姿を現わし、港の近くを通って再び山の中へ。

 そんなことを何度も繰り返しながら、東へと続く道をひた走る。



-***-

 波打ち際が道路の間近まで迫る五ヶ所湾を右手に見て、県道16号線に入る。緩やかな起伏の田園地帯を、緑の稲穂をそよがせながら渡ってきた風に吹かれつつ、ゆっくりと走る。単気筒の鼓動が後ろへと流れていく。
 こんな風景に、最新のビッグバイクやレーサーレプリカは似合わない。

 R167に合流すると、交通量は一気に増えた。前と後にずらりと連なる車列に挟まれたまま、県道32号線に入る。ほとんど信号がないこともあって流れはスムーズだが、あいかわらずテールランプとヘッドライトの間で身動きが出来ない。
 両側から木々が覆い被さるように茂り、道幅が狭いこともあって少し息苦しい。

 黄色味を帯びてきた午後の日差しと共に、伊勢神宮の内宮近くに到着した。

-***-

 時計は午後3時の少し手前を指している。ここから我が家まで、およそ120km。日曜の夕刻、R23は行楽帰りの車で混雑していることだろう。
 夕暮れ時を迎えても気温が30℃を上回っているような時期に、わざわざ渋滞に捕まりに行く必要もあるまい。

 五十鈴川を渡る橋の手前の信号でUターンし、伊勢志摩スカイラインに向かう。

 料金所のゲートをくぐってスロットルを開ける。カーブに差し掛かると、ようやく慣れてきた筈の後部シートの荷物が再び大いに存在を主張し始める。倒れない。起きない。曲がらない。いつもよりスローペースで朝熊ヶ岳の山頂を目指す。

 それでも先行車に追いついてしまった。後ろについてしばらく走っていると、家族連れと思しきワゴン車は左にウィンカーを出して路肩に寄り、先に通してくれた。

 追い越しざまに軽く左手を上げ、感謝の意を表する。あとは山頂まで独り。



 湿気を含んだ大気は夏の日差しを浴びて白濁し、遠くの景色をぼんやりとした霞の向こうに追いやってしまう。夏は風景写真の撮影に向いていない季節だ。

 春の初めに来た時には、伊勢湾と熊野灘を行き交う船の姿がはっきりと見えたものだが。

-***-

 海沿いよりは幾分涼しい風に吹かれながら、山を下る。街の喧騒と熱気が近づいてくる。

-***-

 知多半島の先端、師崎行フェリーの出発時間まで、まだ1時間以上の間があった。どこか喫茶店にでも入ろうかと思ったが、単車には行き先を示す札がぶら下げられてしまったので、鳥羽のフェリーターミナルから少し歩いてみることにした。

 とりあえず南の方へ歩き出すと、3分程で向こうの方に喫茶店の看板が見えてきた。その手前に、大衆食堂のような看板と建物があるのにも気付いた。
 よくある話だが、朝からほとんど何も食べていない。

 魚屋の隣に併設されたような食堂で、まぐろ刺身丼を注文した。品書きにはこの一品だけ金額が記されておらず、支払うまで値段が気になって仕方なかったが、刺身定食と同じ\1,000だった。

-***-



 結局、師崎行のフェリーに乗ったライダーは私一人だけだった。

 桟橋を離れてしばらく経つと、先ほど目指した朝熊ヶ岳山頂の展望台が、遠くに白くかすんで見えた。

 あまり人影のない後甲板のデッキの長椅子に腰掛けて、白く尾を引く航跡をぼんやりと眺める。日焼けした肌に海風が心地良い。空はいつの間にか薄い雲に覆われている。
 90分の船旅の間、遂に一度も腰を上げることなくその場で過ごした。

 一般的に、フェリーではバイクは先乗り後降りである。車両甲板にぎっしりと詰め込まれた乗用車が吐き出された後、がらんとした空間に充満した排気ガスから逃げ出すように、ランプウェイを渡って岸壁に降りた。

-***-

 R247を反時計回りに、緑の丘陵地帯と三河湾に挟まれた道を北上する。そろそろ日も沈む頃だが、二の腕を撫でていくのはまだ昼間の熱を帯びた風。あと20km程でこの旅も終わりだ。

 手はグローブに通したが、フェリーに乗り込んだ時に脱いだメッシュジャケットは、後ろの荷物に括りつけたまま。

 ま、いいか。

 夕暮れ時の半田市内で給油。家路をたどる街の車の流れに乗って走る。単気筒の排気音が、街の喧騒の中へと吸い込まれていく。

(Touring Fin.)

Mileage is a little more than 650km.



[back...]