資料編
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表1 戦後小笠原捕鯨の捕獲実績
年度 | 母船 | 総トン数 | 所属 | 捕獲頭数 | 生産量 (油肉その他) |
1946(第1次) | 一等輸送艦第19号 | --- | 大洋漁業 | 113 | 1,005t |
1947(第2次) |
一等輸送艦第19号
一等輸送艦第16号 一等輸送艦第13号 |
--- |
大洋漁業
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209
↑ 131 |
2,003t
↑ 1,279t |
1948(第3次) |
海幸丸
一等輸送艦第9号 |
2,941t
--- |
極洋・日水
大洋漁業 |
88
155 |
1,222t
2,037t |
1949(第4次) | 海幸丸 | 2,941t | 日水・大洋・極洋 | 205 | 3,201t |
1950(第5次) | ばいかる丸 | 4,744t | 極洋捕鯨 | 306 | 3,495t |
1951(第6次) | 〃 | 〃 | 〃 | 340 | 3,231t |
1952(第7次) | 〃 | 〃 | 〃 | 430 | 3,174t |
表2 戦前捕鯨母船の被害
母船 | 所属 | 総トン数 | 海軍徴用 | 喪失 | 理由 | 場所 | 備考 |
図南丸
第二図南丸 第三図南丸 |
日本水産 |
9,866t
19,263t 19,210t |
'42/11
'41/11/4 '41/11/8 |
'43/11/28
'44/8/22 '44/2/20 |
潜水艦
潜水艦 艦載機 |
仏印カムラン湾
東支那海中部 トラック島 |
ノルウェーより買船
同型:第三図南丸 戦後浮揚修理、図南丸と改名 |
日新丸
第二日新丸 |
大洋捕鯨 |
16,764t
17,553t |
'41/11/2
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'44/5/16
('43/4/16) |
潜水艦
潜水艦 |
比島南西部バラバク海峡
石垣島南方沖 |
準同型:第二日新丸,極洋丸
基隆に曳航、後に廃船となる |
極洋丸 | 極洋捕鯨 | 17,548t | '41/11/17 | ('43/9/19) | 座礁 | 奄美大島名瀬 | 台風による。'44/9/28放棄 |
表3 捕鯨船の被害
所属 | 沈没・行方不明 | 終戦時使用可能 | 戦後引揚修理 |
日本水産 | 32隻 | 18隻 | − |
大洋漁業 | 23隻 | 7隻 | 2隻 |
極洋捕鯨 | 12隻 | 0隻 | 1隻 |
表4 戦時標準船からの改造船
捕鯨母船 | |||||||
船名 | 船型 | 所属 | 長さ/幅/深さ | 総トン数 | 主機/軸数 | 出力 | 速力 |
橋立丸 | 1TL | 日本水産 | 160.5m/20.0m/11.5m | 10,799t | 蒸気タービン1基1軸 | 7,800HP | 19.0kt |
船歴
'44/5/10:1TL型18番船橋立丸(日本水産)として川崎重工神戸にて起工。9/17進水、10/31竣工。 '45/1:台湾高雄港で米機動部隊の攻撃を受け、至近弾により損傷。のち大阪に回航して繋船。 '45/11〜:GHQに捕鯨母船への改造許可申請、翌年取得。 '46/10/15:日立造船因島において捕鯨母船への改造完成。 '46/11/7:第1次南氷洋捕鯨に大阪より出漁。 '47:日立造船因島において改造工事。上部構造物移設、解剖甲板新設、鯨油製造設備改善。 '48:日立造船因島において再度改造工事。波浪衝撃緩和のためスリップウェイ張出部を整形。 以後、第1〜5次南氷洋捕鯨('46〜50)に母船として参加。 '48/8/5:戦後初のペルシャ湾の石油積取許可第1船として、ペルシャ湾バーレン航路に就航。'50にも同航路に就航。 '50/9/3:日立造船築港にて係留中、台風により被害を受ける。 '51/3:飯野海運に4,500万円で売却契約を結ぶ。5/8引渡し。 以後油槽船に改造、B.V.船級取得。ペルシャ湾航路に就航、原油輸送に従事。 '60/4/20:解体。 |
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極洋丸 | 3TL | 極洋捕鯨 | 150.3m/20.4m/12m | 11,449t | 蒸気タービン1基1軸 | 6,000HP | 14.7kt |
船歴
'44/12/19:3TL型3番船鶴岡丸(日本郵船)として三菱重工長崎にて起工。 '45/1/20:大本営命令により石炭焚き貨物船に変更。4/7進水。 '45/7/31:竣工。総トン数9,958t。艤装不備により日本郵船が引き渡しに応じず。8/3,4造船所空襲、8/9原爆被災により小破。 '45/10〜:艤装工事再開。12/30完成。 以後、船舶運営会の所属船となり、九州三池炭鉱〜横浜間の石炭輸送に従事。 '48/8/12:協立汽船に売却。原案設計図に基づき油槽船に復元改造。 '55/2/3:極洋捕鯨に売却。飯野重工舞鶴にて捕鯨母船に改造開始、極洋丸と改名。 '55/5/20:第四次北洋捕鯨に母港横浜より出漁。 以後、第4〜14次北洋捕鯨('55〜65)に母船として参加。第15次南氷洋捕鯨('60)に中積油槽船として参加。漁閑期にはペルシャ湾からの原油輸送に従事。 '67/12:捕獲枠減少による捕鯨船団削減のため不稼動船となり、解体のため売却。 '68秋:広島県三原で解体。 |
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第一日新丸 | 3TL | 大洋漁業 | 150.8m/20.4m/12.0m | 11,781t | 蒸気タービン1基1軸 | 4,000HP | 12.0kt |
第一日新丸
錦城丸 船歴 '45/1/5:3TL型5番船大欖(だいらん)丸(大阪商船)として三菱重工長崎にて起工。 '45/1/20:大本営命令により石炭焚き貨物船に変更。 '45/5〜:船台上で工事中止。8/3,4造船所空襲、8/9原爆被災。 '46/2/10:大洋漁業に6,291万円で売却。第一日新丸と改名。新契約建造1351番船として工事再開、8/28進水、10/25竣工。 '46/11/18:第1次南氷洋捕鯨に母港長崎より出漁。 以後、第1〜5次南氷洋捕鯨('46〜50)に母船として参加。 '49:天洋丸の主缶1基を移設。 '49:主機を三井B&Wディーゼル(62VF型)に換装、出力5,400HP(戦時商船標準機関1062VF115,陸軍特殊船甲型2隻と同型)。 '51/6/11:油槽船に改造、B.V.船級取得。錦城(きんじょう)丸と改名。総トン数11,109t、速力13kt。 以後、第6次南氷洋捕鯨('51)に中積油槽船として参加。漁閑期にはペルシャ湾からの原油輸送に従事。 '54/11:川崎重工神戸にて再度捕鯨母船に改造。総トン数11,052t。 以後、第9〜15次南氷洋捕鯨('54〜60)、第3,4,6,8,10〜13次北洋捕鯨('54〜64)に母船として参加。 '58:主機を川崎MANディーゼル(K9Z型)に換装、出力8,000HP。 '65/3:捕獲枠減少による捕鯨船団削減のため不稼動船となり、解体のため売却。のち大阪で解体。 |
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海幸丸 | 2TM | 日本水産 | 93.0m/13.8m/7.6m | 2,980t | 蒸気タービン1基1軸 | 1,000HP | 11.5kt |
船歴
'45/2:2TM型38番船海心丸 (日本油槽船)として日立造船桜島にて起工。 '46/11:進水。 '48/〜2:日本水産に売却、海幸丸 と改名。 '48/2/10:捕鯨母船として竣工。 '48/2/22:第3次小笠原捕鯨に出漁。 以後、第3〜4次小笠原捕鯨に母船として参加。 第4次小笠原捕鯨途上、母船式マグロ漁業を試験操業。 '49:宝幸水産にマグロ母船として貸船。 '50:日立造船桜島にて冷凍工船に改造。主機を三菱MAN3号(マ式3号)型ディーゼルに換装、出力1,400HP。 以後、'52,'56〜58母船式マグロ漁業に母船として参加。第6〜15次南氷洋捕鯨('51〜60)に中積運搬船として参加。 '63/9/6:解体のため売却。 |
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塩蔵/冷凍工船 | |||||||
船名 | 船型 | 所属 | 長さ/幅/深さ | 総トン数 | 主機/軸数 | 出力 | 速力 |
多度津丸 | 1TL | 日本水産 | 153.0m/20.0m/11.5m | 10,543t | 蒸気タービン1基1軸 | 4,000HP | 14.0kt |
船歴
'44/7/22:1TL型20番船多度津丸(日本郵船)として川崎重工神戸にて起工。翌年1/30進水。 '45/3/2:岸壁にて艤装中、工事中止。 '45/10/24:艤装工事再開。翌年3/2完成。 '46/8/14:日本水産に売却。 '46/10:日立造船向島において塩蔵工船に改造完成。 '46/11/7:第1次南氷洋捕鯨に大阪より出漁。 以後、第1,2次南氷洋捕鯨に塩蔵工船として参加。 '49/11/11:日立造船向島において冷凍工船に改造完成。 以後、第3〜5次南氷洋捕鯨('48〜50)に冷凍工船として参加。 '51/8/10:三井造船所玉島にて油槽船に改造、B.V.船級取得。 '56/7:鯨油積載可能に改造。 以後、第11〜15次南氷洋捕鯨('56〜60)に中積油槽船として参加。漁閑期にはペルシャ湾からの原油輸送に従事。 '51〜59?:漁閑期にペルシャ湾、インドネシア、アメリカ航路に就航、原油輸送に従事。 '62/3:解体。 |
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第二天洋丸 | 1TL | 大洋漁業 | 153m/20.0m/11.5m | 10,619t | 三井B&Wディーゼル1基1軸 | 5,400HP | 12.0kt |
船歴
'44/11/25:1TL型22番船大橘(だいきつ)丸(大阪商船)として川崎重工神戸にて起工。 '45/4/15:進水。5/15工事中止。 '46/3:大洋漁業に売却。第二天洋丸と改名。 '47/6/22:新契約建造600番船として艤装工事再開。主機を三井B&Wディーゼル(戦時商船標準機関1062VF115)に換装、冷凍工船として12/6竣工。 以後、第2〜6次南氷洋捕鯨('47〜51)に冷凍工船として参加。'50、母船式マグロ漁業に母船として参加。 '52/4/11:系列会社大洋商船に移籍。三菱重工横浜で油槽船に改造、B.V.船級取得。8/17完成。総トン数10,612t。 以後、第7〜17次南氷洋捕鯨('52〜62)に中積油槽船として参加。 '64/5:大阪府堺で解体。 |
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天洋丸 | 3TL | 大洋漁業 | 150.8m/20.4m/12.0m | 10,269t | 蒸気タービン1基1軸 | 4,400HP | 12.0kt |
船歴 '44/12/3:3TL型4番船ひらど丸(石原汽船)として三菱重工長崎にて起工。 '45/1/20:大本営命令により石炭焚き貨物船に変更。 '45/5/16:進水。8/3,4造船所空襲、8/9原爆被災。 '46/2:大洋漁業に売却。天洋丸と改名。新契約建造1351番船として工事再開、塩蔵工船として10/15竣工。 '46/11/18:第1次南氷洋捕鯨に出漁。 以後、第1〜3次南氷洋捕鯨('46〜48)に塩蔵工船として参加。 '47:主缶1基を第一日新丸に移設。 '49:三菱重工横浜にて冷凍工船に改造。総トン数11,224t。 以後、第4〜17次南氷洋捕鯨('49〜62)に冷凍工船として参加。 第3,5次北洋鮭鱒漁業('56,58)に母船として参加。 '59ミールプラント設置、'60搾油機設置。'59〜63南氷洋漁閑期に専用底引き網母船として出漁。 '65/4:世界初のすり身工船に改装。 '66/4:天洋丸代船の元捕鯨母船第二日新丸に設備移設。 '66/4/11:解体のため三菱商事に売却、佐世保に到着。 '68:解体。 |
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摂津丸 | M甲2 | 日本水産 | 142.0m/18.5m/11.6m | 9,671t | 艦本式22号10型ディーゼル2基2軸 | 3,200HP | 12.1kt |
船歴
'44/5:戦時標準船M型(陸軍特殊船型)の甲型2番船摂津丸(大阪商船)として日立造船因島にて起工、翌年1月竣工。 '45/2末:門司港外にて触雷。三菱重工長崎に回航、終戦を迎える。 以後、内航運輸に従事。 '47/9:日本水産の傭船となる。 '47/11/10:三菱重工長崎において塩蔵工船に改造完成。 以後、第2次南氷洋捕鯨船団('47)に塩蔵工船として参加。 '48/10/29:日立造船因島において冷凍工船に改造完成。総トン数9,329t。主機を22号10型(三菱横浜造船所製)ディーゼル2基に変更。 '48/11/30:日本水産に売船。 以後、第3〜7次南氷洋捕鯨船団('48〜52)に冷凍工船として参加。 '53/3/7 10:00頃:南氷洋ロス海において、機関室のバルブ修理中にキングストン弁を誤って開放、浸水。総員退船。 〜3/13 06:44:スコット島東北東約750km(南緯67度08分 東経162度47分)において沈没。積荷の冷凍鯨肉3,243t、塩蔵鯨肉587tを喪失。 |
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永仁丸 | 2A | 大洋漁業 | 130.0m/18.2m/11.1m | 7,456t | 蒸気タービン1基1軸 | 2,200HP | 10.5kt |
船歴 '44/4/24:戦時標準船2A型?番船永仁(えいにん)丸(日本郵船)として三菱重工神戸にて起工。建造中に応急油槽船として2,3番貨物倉を油槽に改造。6/23進水、8/23竣工。 '45/3/17:三菱重工神戸にて油槽を貨物倉に復元改造中、神戸大空襲に遭遇。機関室及び船尾楼を全焼。 '46/1:修理完了。国内の石炭輸送に従事。'50/4より係船。 '51/4/6:林兼海運(林兼汽船)に売却。 '51/12?:川崎重工神戸にて冷凍工船に改造、B.V.船級取得。 '53:大洋漁業に移籍。 以後、第8〜22次('53〜67)南氷洋捕鯨に冷凍工船として参加。 以後、第3,4〜?次('54〜)北洋鮭鱒漁業に母船として参加。 '58:主機を錦城丸から転用換装、出力5,400HP。 '69:大遠冷蔵に売却、大遠丸と改名。 '80:解体。 |
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第三共同丸 | 2TM | 函館公海漁業 | 85.8m/13.4m/7.2m | 2,479t | 三連成蒸気レシプロ1基1軸 | 1,500HP | 12kt |
船歴
'44:戦時標準船2D型?番船第三共同丸(阿波国共同汽船)として占部造船(田熊,広島県)にて起工。翌年1月進水、2月竣工。 '45/7/14:空襲により沈没。 '46:浮揚。 '50/9/11:ジェーン台風により大阪尻無川で擱座、のち浮揚。 '50/12:日立造船築港にてBV船級取得工事。 '53/12:函館公海漁業に売却。 以後、第9〜15次('54〜60)南氷洋捕鯨に冷凍工船として参加。 '55〜?:主機を捕鯨船より転用のディーゼルに換装、速力12kt? '56/4:永洋丸と改名。 '63/7:大洋漁業に売却。8/31付で独航機能撤去。 '63/12:解体完了。 |
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中積油槽船 | |||||||
船名 | 船型 | 所属 | 長さ/幅/深さ | 総トン数 | 主機/軸数 | 出力 | 速力 |
玉栄丸 | 2TL | 日本水産 | 148.0m/20.4m/12.0m | 10,419t | 艦本式22号ディーゼル2基1軸? | 3,120HP | 13.3kt |
船歴
'44/3/1:2TL型16番船玉栄(ぎょくえい)丸(日東汽船)として三菱重工横浜にて起工。 13番船さばん丸と共に、主機に剣埼型又は大鯨から陸揚げ保管されていた艦本式22号ディーゼルを搭載? '44/6/5:進水。10/14竣工。 主機調整に同型船の3倍以上の日数が費やされる。竣工後も機関調整の理由で近海輸送に従事。 '45/7/22:徳山港港外にて触雷、沈没を避けて浅瀬に擱座。 '48/7/10:播磨造船所によって浮揚。 '48/11/15:日本水産に売却。南氷洋捕鯨の中積油槽船に改造。 '48?:主機を25号2型ディーゼル(三菱神戸造船所)に換装 以後、第4〜14次南氷洋捕鯨('49〜59)に中積油槽船として参加。 '51/3〜4:トラック島で浮揚に成功した第三図南丸を内地まで曳航。 '50〜59:漁閑期にペルシャ湾、インドネシア、アメリカ航路に就航、原油輸送に従事。 '51/6:日立造船築港でB.V.船級取得工事。 '60/4/20:ミール工船に改造完成。総トン数10,357t、速力11.5kt。 '60/4/24:母船式ミール漁船団に出漁。 '60〜74:第15〜19次南氷洋捕鯨('60〜64)に中積運搬船として参加。北洋ミール漁業、ベーリング母船式底引網漁業に母船として参加。冷凍すり身の開発を行なう。 '75/3〜:解体。 |
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千種丸 | 2TL | 大洋漁業 | 150.2m/20.4m/12.0m | 10,325t | 蒸気タービン1基1軸 | 7,800HP | 12.0kt |
船歴
'44/9/11:2TL型29番船千種(ちぐさ)丸(日本郵船)として三菱重工横浜にて起工。 11月中旬、陸軍の要望で24番船山汐丸と共に特2TL型(護衛空母型)に改装決定。 '44/12/29:進水。 '45/1:横浜港で被爆、擱座。 '48:大洋漁業に売却。浮揚後、南氷洋捕鯨の中積油槽船に改造。 '49/3/23:中積油槽船として三菱重工横浜にて竣工。B.V.船級取得。 以後、第4,5,9〜16次南氷洋捕鯨('49,50,'54〜61)に中積油槽船として参加。 '63/6:佐世保にて解体。 |
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第五山水丸 | 3TL | 極洋捕鯨 | 150.0m/20.4m/12.0m | 9,905t | 蒸気タービン1基1軸 | 5,000HP | 12.0kt |
船歴
'44/10/24:3TL型1番船第五山水(やまみず)丸(山下汽船)として三菱重工長崎にて起工。 '45/1/4:進水。2/10竣工。 '45/7/29:長崎県飽浦で被爆、沈没。 '47/3/24:極洋捕鯨に売却。浮揚後、三菱重工長崎において捕鯨母船への改造工事開始。 '47/6/12:GHQが捕鯨3船団を認めない方針を示す。後に捕鯨母船への改造工事中止。 '47/11/10:中積油槽船として完成。 以後、第2次南氷洋捕鯨('47)に日水・大洋両船団共同使用の中積油槽船として参加。 '49〜?:漁閑期にペルシャ湾からの原油輸送に従事。 '51/2/19:極洋捕鯨から分離独立した太平洋海運に売却。 '56/3/1:極洋捕鯨に売却。大阪造船所において鮭鱒母船に改造開始、極山(きょくざん)丸と改名。 総トン数11,574t、主機をディーゼルに換装、出力5,500HP、速力11kt。 '56/4/29:第三次北洋鮭鱒漁業に母港釧路より出漁。 以後、第3〜19次北洋鮭鱒漁業('56〜72)に母船として参加。第11〜25次南氷洋捕鯨('56〜70)に中積運搬船として参加。 '73:解体のため売却。 |
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大椎丸 | 3TL | 極洋捕鯨 | 150.8m/20.4m/12.0m | 10,010t | マ式3号ディーゼル2基2軸 | 3,600HP | 10.0kt |
船歴
'44/11/21:3TL型2番船大椎(だいすい)丸(大阪商船)として三菱重工長崎にて起工。 '45/1/20:大本営命令により石炭焚き貨物船に変更。3/5進水。6/15竣工。総トン数9,957t。 '48/5/21:極洋捕鯨に売却。原案設計図に基づき油槽船に復元改造。主機を蒸気タービンからディーゼルに換装(マ式3号)。 以後、第3〜?南氷洋捕鯨に中積油槽船として参加。 漁閑期にペルシャ湾航路に就航、原油輸送に従事。 '51/2/19:極洋捕鯨から分離独立した太平洋海運に売却。 〜'60/8:ペルシャ湾航路に就航、原油輸送に従事。 '60/10:定置油槽船に改造完成、'62/3までクウェートのカフジに繋留。のちアラビア石油に売却。 '63/2/21:解体のためシンガポールのマラヤン社に売却、シンガポールに到着。 |
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戦標船以外 | |||||||
船名 | 船型 | 所属 | 長さ/幅/深さ | 総トン数 | 主機/軸数 | 出力 | 速力 |
ばいかる丸 | − | 極洋捕鯨 | 121.8m/15.2m/9.1m | 4,744t | 艦本式22号10型ディーゼル2基2軸 | 3,600HP | 13.0kt |
貨客船
近海捕鯨母船 船歴 '21/5/10:三菱重工神戸にて進水。建造には電気溶接を多用。艤装のため同長崎に回航。 '21/9/25:大阪商船初の蒸気タービン装備貨客船として竣工、大連航路に就航。 総トン数5,243t、主機蒸気タービン2基2軸、出力5,500HP、速力17.3kt。 '39:近海航路集約のため国策会社の東亜海運に売却。 戦時中は国際赤十字病院船として活動。 '45/5/14:大分県姫島沖で触雷、大破座礁。 戦後浮揚修理、繋船。 '46/4〜:尼崎に係留状態で海技専門学院(後の海技大学校)分教場となる。 '49/10/20:日本船舶より極洋捕鯨が購入。 '50/3/9:大阪佐野安造船所において近海捕鯨母船への改造完成。主機をディーゼル2基(船尾機関)に換装。 '51/10/10:日立造船因島において南氷洋捕鯨母船への改造完成。総トン数4,818t。 以後第5〜7次小笠原捕鯨('50〜)、南氷洋まっこう捕鯨('51)、第1〜3次北洋捕鯨('52〜)、南シナ海母船式底引き網船団('52)に母船として参加。 '55/3/1:冷凍工船に改造完成、船名を極星丸に変更。総トン数5,504t。 以後第2次北洋鮭鱒漁業('55)に母船として参加、第15〜?次南氷洋捕鯨('60〜)に冷凍工船として参加。 '67/10/20:捕獲枠減少による捕鯨船団削減のため不稼動船となり、解体のため売却。 '68秋:舞鶴の飯野重工にて解体。 |
図1 南氷洋における各社船団別ヒゲ鯨捕獲頭数(BWU換算)
図2 南氷洋における国別ヒゲ鯨捕獲頭数(BWU換算)
図3 国別南氷洋捕鯨出漁船団数
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*注1:捕獲頭数はすべて母船式捕鯨によるもの。
*注2:日本の第十六次南氷洋捕鯨(1961/62漁期)における捕獲頭数(BWU換算)は戦前戦後を通じて最高。 *注3:南アは当時イギリス連邦に所属しており、事実上同一国。パナマは便宜置船籍。 |