[天翔艦隊へ]


ドッガー・バンク上空の飛行船

※注:この文章は、Webサイト三脚檣の新見志郎さんが以前掲示板で「ドッガー・バンク海戦」を連載されていた際に、私が便乗して投稿した文章が元になっています。
 海戦の詳細な推移については、現在三脚檣の士官室にて公開されている「ドッガー・バンク海戦」をお読みください。というか、そちらを読まないと状況がさっぱりわかりません(笑)



 初のドイツ飛行船による英国空襲から1週間が経過しないうちに、ドッガー・バンクの海戦が発生した。史上最初で唯一、飛行船が戦闘海域の上空にあって、敵の直接観測によって得た情報を海戦の指揮官に提供した戦いである。

 1915年1月23日の午後、ヒッパー少将は4隻の巡洋戦艦、4隻の軽巡洋艦、19隻の駆逐艦と共にドッガーバンク方面へ出撃した。

◆1915年1月19日の深夜、飛行船による初のイギリス本土空襲が行なわれています。出撃したのは海軍飛行船部隊のL3、4、6で、計3,630lb(1,650kg)の爆弾を投下しました。


 飛行船L5(海軍所属)で哨戒飛行中のヒルシュ大尉が、この戦いを初めて知ったのは翌24日の10:03だった。ヒッパーが発した無電”我巡洋戦艦戦隊と戦闘中、109デルタ7。我進路S.E.1/4S”を受信したのである。
 北東から接近すると、ヒルシュはすぐにドイツ艦隊の壮麗な光景を見た。前方では逃げるドイツ巡洋戦艦部隊が大きな煙の雲を吐き出し、5つの低く黒いシルエット、イギリスの”猫達(原文:cats)”が遠く水平線から忍び寄っていた。
 L5がドイツの大型艦の非敵側に進路をとると、退却するドイツ軍の北側に回りこもうと運動しているイギリス軽巡洋艦部隊からの砲火にさらされた。12:07、彼らはL5を低い雲に追い込み、射程外に追い出した。

◆”109デルタ7”は独海軍が設定していた方形地点図の1地点で、ここではヘルゴラントの西北西約145海里を表します。原文の”cats”はライオン(Lion)級巡洋戦艦を示すものです。


 それ以後、ヒルシュは敵小型艦艇の行動を視界にとらえておくことに専念し、ヒッパーの後尾上空に占位してこれを護衛する形となった。その結果、彼はライオンが被害を受けていたことに気付かなかった。
 遠く離れて、彼はブリュッヒェルが敵小型艦艇の包囲の中で沈んでいくのを見た。イギリスは後に、生存者を救出している駆逐艦を狙ってL5が爆撃を加えたと非難している。しかし、実際はボルクム(東フリース諸島西端の島)からやってきた水上機のしわざだった。

 14:29、無電でヒッパーからの問い合わせがきた。”敵巡洋戦艦は何隻なりや” ヒルシュの返信は”敵巡洋戦艦は4隻なり”で、ドイツ将兵はタイガーを沈めたと確信し、勇気づけられた。ヒルシュはライオンが4隻の僚艦から後落した時に航跡を見失っており、彼女の難局にも気付かなかったのだ。

◆ブリュッヒェル沈没は12時過ぎですので、L5が帰還するイギリス艦隊の後をつけていたのだと思われますが、どの時点までくっついていったのかは定かではありません。また、ライオンの損傷に気付かなかった理由もよく分かりませんが、高度な光学機器を備えていなかったのが原因でしょう。

 こうして、飛行船が参加した最初で最後の海戦が終わりました。飛行船の性能が低かったこともあって、有効に活用できたとは言いがたい結果に終わっています。

◆参考までに、L5のデータを挙げておきます。
全長:158m
直径:14.9m
気嚢容積:225,00m3
上昇限度:2,500m
機関:マイバッハ製ガソリンエンジン210hp/3基
最高速力:83.4km/h
航続距離:2,200km

(以上)

公開:03/02/02


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