船団護衛における凧式気球
※注:この文章は、ソーシャルネットワークサービスmixiにおいて、私こと天翔の日記(2008年9月24日〜2008年10月1日)で不定期連載した文章を、編集して加筆訂正したものです。
※注:本文は、アメリカ海軍歴史資料センター(http://www.history.navy.mil/)のO.N.I.Publication No.46"KITE BALLOONS IN ESCORTS"(http://www.history.navy.mil/library/online/onipubno46.htm)を私が自由闊達かつ無責任に訳出したものです。本文の掲載に関する責任は私にありますが、翻訳の正確さ等その他のいかなる責任も負いません。
海軍情報部刊行第46号 船団護衛における凧式気球
海軍省
1918年11月
ワシントン
航空作戦部隊の推薦により、企画部門によってなされた船団護衛に凧式気球を用いる研究は、海軍部隊の資料として発表された。
ロジャー・ウェルズ
企画部門の覚書
問題)
1.凧式気球は船団を護衛する艦船で使用することができるか?
これらの疑問を考慮する際に、すべての利用可能な刊行物と報告書が慎重に調査され、以下の記録において自由に使用された。
(2)1917年7月、グランドフリートの駆逐艦が試験的に潜水艦掃討をおこなった。水上で8マイル離れて潜水艦は発見された。後に、2つの潜望鏡が発見された。距離は不明。 (3)同じ掃討で、後に別の2隻の潜水艦が凧式気球によって発見された。距離は不明。 (4)1917年7月12日、英国軍艦パトリオットが距離28マイルで水上にある潜水艦を視認した。凧式気球が6マイルの距離で潜水艦は潜航した。潜水艦は凧式気球が4マイル離れていた時浮上し、急速潜航した。パトリオットは凧式気球に指示された位置に向かい、攻撃を行った。潜水艦はおそらく破壊された。 (5)1918年5月27日、凧式気球によって護衛された輸送船団が攻撃された。攻撃は、気球が観測者の交替のために引きおろされた5分後に行われた。これは、凧式気球によって護衛された船団に対して、記録上初めて行われた攻撃であった。2つめの凧式気球によって護衛された輸送船団が1918年9月3日に攻撃され、1隻が沈没した。 英国人は、敵潜水艦が遠距離で凧式気球から視認されていると感じている間、彼らは大きな危険を招かないと思っている。英国の刊行物では、晴天における凧式気球の視程はおよそ20マイルである。視程は光線、背景、気球の色、気球と観測する船の相対位置によって変化する。 (6)もちろん、輸送船団に凧式気球が随伴しない時でも、概して輸送船団が潜水艦を発見する前に、潜水艦が輸送船団を発見することが知られている。
(7)晴天の薄明における凧式気球はすべての方位からますます見えるようになり、まったく暗くなるまでそれは残る。これらの状況の下では、潜水艦は浮上して凧式気球からある程度の距離に近づき、探知の恐れなしに追尾することはありえる。 (8)風が吹いている場合、凧式気球からの観察はそれほど効率的ではない。 (9)白波が海面にある場合、気球から潜望鏡を発見する可能性は小さい。
(10)英国の作戦に関する最近の記録は、軍事観測用係留気球が潜水艦を見つけるために3万マイル以上を航海しなければならないことを示している。 結論は、もちろん、次のような原則である。
現状を考慮して、疑問は解決される。すなわち、
疑問(1)の解答は疑問(2)の解答の一部に依存することは明白であり、よって我々は凧式気球の使用の基本方針を最初に調査するべきである。 凧式気球はわずかに1つの『直接的』な使用をし、そしてそれは『情報を得る』ことである。それにはここで考慮されなければならないわずかに1つの欠点があり、それはそれが敵に情報を『与える』ということである。したがって、凧式気球のための真の問題は、可能な限り多くの役に立つ情報を得て、可能な限り敵の艦船に役に立つ情報を与えないことである。 凧式気球の間接的な使用は、敵の潜水艦に対するその影響で測られる。水上で気球から見られることを避ける時、彼らはほとんど常に潜航するようになり、それによって自発的に彼らの機動力を制限する。
凧式気球を使用する2つの方法がある。
近接護衛位置―通常輸送船団の前を横切ってジグザグに進む―にある凧式気球の役割は、
近接護衛位置はまた、敵潜水艦に最大限の情報を与える。輸送船団のよく見える目印になり、それによって潜水艦に輸送船団の位置を伝えることが可能になり、また攻撃の為によりよい場所へ動くこともできる。それはまた、潜水艦自身が発見されることなく、大きな回り道によって攻撃位置を得ることも完全に可能である。
近接護衛位置の利点は次の通り。
(2)警報をすり抜けた攻撃から防御する。
我々は、魚雷攻撃に対し凧式気球によって得られる追加の防御は、さらに1分早く輸送船団に危険を伝えることと結論する。
(3)潜水艦を脅す。
上記と凧式気球を潜水艦のいるところで運用した経験とを併せて、我々は結論する。
輸送船団の護衛の為の広域哨戒は各種刊行物で論じられている。注意について詳しくは1918年2月の海軍情報部刊行第46号を勧める。 広域哨戒位置における凧式気球の役割は、近接護衛位置のものと同じである。 すべての輸送船団は潜水艦が輸送船団を攻撃するための位置に潜航して移動しているかもしれない領域を持つ。この領域の幅は潜水艦の潜望鏡から輸送船団の視程の2倍――晴天で14マイル、プラス輸送船団前面の長さである。この領域は輸送船団の前方で無限の距離を広げている。 領域の後方は、輸送船団の隊形と速度、潜航している時の潜水艦の速度と行動半径、そして潜水艦魚雷の射程に依存した不規則な線によって制約される。 この領域のことを「水中危険領域」と呼称する。 「水上危険領域」として知られる同様の領域は、「水中危険領域」を含んでそれを超えて側面と後方に等しく広がり、潜航中の潜水艦から、そして水上にある潜水艦からの輸送船団の視程によって異なる。晴天下において「水上危険領域」はおそらく22マイルの幅となる。
「水中危険領域」と「水上危険領域」の両者の側面境界線は、潜水艦からの視程で決定される。なぜなら、見ることができない時、潜水艦は攻撃の為の機動ができないと推定されるからである。聴音装置の開発は、近い将来側面の「水中危険領域」を拡張するだろう――視程の2倍というよりむしろ聴音半径の2倍に――もし潜水艦の潜航行動半径が、聴音半径と足並みを揃えるなら。
『広域護衛艦』は、以下の観点から輸送船団の視程に位置する。
もし広域護衛艦が軍事観測用係留気球を乗せても、広域護衛の原則は変更されない。 もし護衛艦が「水中危険領域」の内側に位置すれば、おそらく潜水艦は発見するが、潜水艦は攻撃するために潜航して機動し続けることができるかもしれない。しかしながら、もし広域護衛艦が「水中危険領域」の外側に位置すれば、それは「水中危険領域」と共通でない「水上危険領域」の中か、その近くのあらゆる潜水艦を発見できるような位置であり、そこで発見された潜水艦は潜航しなければならず、輸送船団の発見と所在についての知識なしで潜航するので、潜航することによって輸送船団への攻撃成功のすべての機会を失うだろう。 輸送船団が対潜艦に護衛されている時、こう考えるのは間違いない――最も速度の遅い輸送船団も――もし、すでに輸送船団の正横後の潜水艦を輸送船団が最初に発見した時、潜航して機動し攻撃に成功するどんな潜水艦もいない。 配置された広域護衛艦が後方に注意を払うようにすれば、広域護衛か近接護衛のいずれにも気付かれずに水上の「水中危険領域」にたどり着ける潜水艦は存在しない。 次の表は、広域護衛艦が輸送船団を導く為に位置すべき適切な前方の相対位置を与える。
凧式気球を備えた広域哨戒艦は、輸送船団を視程内に保たなければならない――悪天候下ではこの目的の為に接近する。晴天下で凧式気球は輸送船団からおそらく12マイル離れている。
凧式気球搭載艦の位置
1基の凧式気球しかないとき、原則として上記の指定された位置に配置されるべきである。
(a)(b)(c)は、潜水艦が輸送船団を発見する前に潜航し、気球と輸送船団に挟まれた水上に発見されずに来ることは不可能であるような輸送船団からの距離で。 夕暮れ時において、凧式気球は輸送船団の後方の、接触を失わない限り遠くかつ接近しない位置で全くの暗闇となるまで、光が消えていく側に後退しなければならない。もし輸送船団が暗くなる前に針路を変更したら、凧式気球は異なる針路で離れ、完全に暗くなるまで合流せず、それから近接護衛位置を取る。 陸地を発見するか、輸送船団の前方海域が哨戒されていたら、どのような視程でも凧式気球は近接護衛位置に配置すべきである。
広域哨戒は、最小限要求される近接護衛が満たされるまで使用すべきではない。
注―凧式気球を見た潜水艦は、一つの明確な推理と、いくつかの不確かな推理をすることができる。
潜水艦は、一隻の軍艦を発見したなら、これらと同じ推論をすることができる。そして、凧式気球が潜水艦に与えるそのほとんど唯一の情報は、与えられた方向における船の存在の初期情報、そしてそれに付随するその船の大まかな針路の初期情報である。この初期情報は、2つの視程円の相関、(1)は艦船、(2)は凧式気球、によって測定される。これらの視程円の相関は、大気条件が非常に大きく変更する。晴天下において凧式気球はおそらく艦船の2倍の距離から発見される。悪天候下では、艦船自身が先に発見される。
(2)気球を発見した潜水艦は、自発的に「水中危険領域」の範囲を離れてさえ、それに引き寄せられる可能性が高いこと。
悪天候下における、もしくは長距離航海で凧式気球を使用することの実行可能性は考慮されていない。我々は、それぞれの場合において、これまでの運用経験に基づき、そして遭遇するかもしれない状態の予測で、牽引気球を用いるかどうかの決断の責任を負う。
要約
凧式気球は、すでに説明した原則に従って、広域護衛位置で使用することが有益である。すなわち――
(1)(2)(3)は、潜水艦が輸送船団を発見する前に潜航し、気球と輸送船団に挟まれた水上に発見されずに来ることは不可能であるような輸送船団からの距離で。 (5)夕暮れ時において、凧式気球は輸送船団の後方の、接触を失わない限り遠くかつ接近しない位置で全くの暗闇となるまで、光が消えていく側に後退しなければならない。もし輸送船団が暗くなる前に針路を変更したら、凧式気球は異なる針路で離れ、完全に暗くなるまで合流せず、それから近接護衛位置を取る (6)陸地を発見するか、輸送船団の前方海域が哨戒されていたら、どのような視程でも凧式気球は近接護衛位置に配置すべきである。 (7)広域哨戒は、最小限要求される近接護衛が満たされるまで使用すべきではない。
シムス
ロンドン,イギリス
(了)
"Kite Balloons to Airships...the Navy's Lighter-than-Air Experience"(http://www.history.navy.mil/branches/lta-m.html)より、1917年6月、フロリダにおいて米装甲巡洋艦ハンチントン(ACR-5)で運用されるBC-3級凧式係留気球。
"Kite Balloons to Airships...the Navy's Lighter-than-Air Experience"より、対潜哨戒を終えて気球から降りる観測員。。。あれ、赤影のhushさんなんでそんなところにぶら下がってるんですか? にしてもほとんど曲芸ですね。 ちなみに1917年9月、装甲巡洋艦ハンチントン(前の写真参照)で運用中の凧式気球が悪天候下で墜落し、落水した観測員をある中尉が海に飛び込んで救うという出来事がありました。 『1917年9月17日朝、合衆国軍艦ハンチントンが戦闘海域を通過中、凧式気球が観測員としてH.W.ホイト中尉を乗せて空中に上げられた。気球がおよそ400フィートの空中にあった時、気温が急激に低下し、スコールに打たれたことによって200フィート降下した。気球は舷側で引きずられたが、バスケットは水の中を引きずられ、搭乗員は水に沈んだ。パトリック・マグニガル中尉は素晴らしい大胆さをもって舷側を下り(以下略)』(以上http://www.history.navy.mil/photos/pers-us/uspers-m/p-mcgnal.htmより) 2人は無事に生還し、マグニガル中尉はこの『類まれなる英雄的行動』に対して海軍名誉勲章(The Navy Medal of Honor)を授章しています。ここでは上掲写真と併せて、凧式気球への搭乗任務がそれなりに危険なものであったことを示すエピソードとしてご紹介まで。
"Naval Historical Center"(http://www.history.navy.mil/)より、凧式係留気球を浮揚させながら航行する戦艦エリン。
ちょっと分かりにくいのですが、船内に"balloon well"を備えた気球母艦ライト(AZ-1)です。艦種記号AZの意味するところは"Lighter-than-Air Aircraft Tender"、後に"Airship Tender(Lighter-than-Air)"に変更されてるみたいです。もっとも、この艦種記号を与えられたのはライトが最初にして最後ですが。 重航空機の先駆者ライト兄弟の名を戴くにしてはなんとも皮肉ですが、気球運用専門艦として1920年竣工しました。しかし1925年には水上機母艦(AV-1)に改装され、第二次世界大戦末期に雑役艦(AG-79)となってサン・クレメンテと改名、戦後に解体されています。終戦直後に日本にも来たことがあるようですね。
運用中のライトを描いた絵画で、後甲板にある巨大な開放スペースが"balloon well"です。
例によって英Wiki。
折角なんで給油艦パトカも紹介しておきましょう。飛行船母艦と言われることもありますが、類別上はずっとAO(給油艦)です。後に水上機母艦(AV-6)に類別変更されますが、一度退役して再就役した1939年のことですから飛行船の運用とは関係ありません。
重複してる写真も多いのですが、海軍歴史資料センターとNavSource。
"Naval Historical Center"より、1918年9〜11月に撮影された、アイルランドのバントリー湾において凧式係留気球を展張する停泊中の戦艦ユタ。気球は先日の戦艦エリンよりやや細身な感じです。ところで、この気球は使わない時はどこにしまっておくんでしょうね?
英Wiki(http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Kite_Balloon_From_USS_Arizona.jpg)より、日時と場所は不明ですが、戦艦アリゾナで運用中の凧式係留気球。これはユタのと同型に見えますね。索具が意外に複雑なのが見て取れます。
英Wiki(http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Balloons_1919.jpg)より、1919年、陸上で運用中の凧式気球。阻塞気球にしては阻塞網も見えませんし、少し大きすぎるような気がします。実戦で偵察気球をこんなに集中運用する意味もあまりないでしょうから、周囲の状況も併せて見るにおそらく運用訓練中なのでしょう。
イギリスの凧式気球もご紹介しておきましょう。ほとんどデータはないのですが。。。
まずは英Wikiより、気球母艦カンニング。
その他運用中の凧式気球を描いたもの。"Imperial War Museum(大英帝国戦争博物館)"(http://www.iwm.org.uk/index.php)より、
(以上) 公開:08/11/03 |