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ソロツーレポ。

独白調。

(この文章は事実を元に再構成したフィクション、ということにしておきます)


8/8 曇のち晴
 アパートの廊下を照らす橙色の屋外灯を頼りに、前夜パッキングしておいた荷物を黙々とくくり付ける。ショックコードの擦れるシュルシュルという音が辺りに響く。夏真っ盛りと言えども日の出前で辺りは暗い、午前4時半である。



 ずっしりと荷物の手応えを感じる単車を前の道路まで押し出し、チョークを引いてセルを回す。白くバックライトが光るタコメーターの針が躍り、排気音が静寂に破裂する。
 普段の街の喧騒の中では決して大きいとは言えない筈なのだが、新聞配達のバイクか何かと勘違いしてくれることを祈りつつ、すぐさまクラッチを繋ぐ。夜半の雨で湿った路面を後輪が蹴る。

 往復2,500kmの旅が始まった。

-***-

 暖気をしていないエンジンを労わりながらとろとろと街を抜け、東名高速の岡崎ICに向かう。熱帯夜を引きずったままのじっとりとした大気が、メッシュジャケットを透して肌を湿らせる。今日も暑くなりそうだ。

 R1で岡崎市内に入り、24時間営業のスタンドで給油する。一級の幹線国道と言えども、この時間帯に行き交う車はほとんどない。
 「綺麗なバイクですね」一人で勤務していた中年男性は、手持ち無沙汰だったのか、タンクの給油孔にガソリンを注ぎ込みながら話し掛けてきた。「どちらまで行かれるんですか?」
 北海道まで。青森まで高速で行きます、と答えると、はぁーともへぇーともつかぬ感嘆の声を発し、思い出したかのように「すごいですね」と付け加えてくれた。

 「ありがとうございました」と見送りを受けて、再び国道を走り出す。無事に走って帰って来られたら、帰りにもここで給油しようか。そんな考えがふと過ぎる。

 目指す行く手の東の空が、白々と明け始めた。曖昧な闇に溶け込んでいた空と街並との境目は、次第に明暗を分けてそれぞれが際立ってくる。

-***-

 東名をしばらく走るうちに、空は黒から紺、白へと色を変えていった。いつまで経っても青にならないのは、どうやら空が薄い雲に覆われているからのようだ。

 走行車線を90km/hほどの速度でゆっくり流し、追越車線を飛ばしていく車の合間を縫って時折追い越しをかける。豊川のゲートに到着する寸前、見覚えのある一台の車に抜かされた。紺色のトヨタのRV車には、見覚えのあるステッカーが貼ってある。
 浜名湖のSAに入り、初めての休憩を取る。缶コーヒーを飲みながら携帯を取り出して、今は浜松に住む学生時代のヨット部の同期に電話をかける。すぐに出た相手に笑いながら言い放つ。「お前、今どこ走ってた?」
 朝帰りだったらしい。

 なんか黒いバイク抜かした記憶ないか。ああ、あのバイクか、どこに行くんだ。うん、ちょっと東の方に。。。世間話と来るOB会の話をして、通話終了のボタンを押した。三年前に卒業したたった二人の同期が、こんなところで遭遇するとは思わなかった。なんだか幸先がいいような気がする。まだまだ先は長いのだけれど。

-***-

 単気筒エンジンが発する高回転の振動に耐えながら、単調な道程をこなしていく。体力と気力のあるうちに距離を稼いでおきたい。しかし、左右の防音壁に切り取られた空は暗さを増して、灰色から濃灰色へと変化しつつある。
 出掛けに調べた天気予報では全国的に晴れだったが、静岡県西部で少し高めの降水確率を告げていた。

 次第に雲の高さが低くなり、周囲の山の頂上が雲底に達して白く霞むになるに至って遂に諦め、次のPAに入ってレインウェアを着ることにした。道路を挟んだ暗い緑の木々の梢に煙のような霧が漂い、いつ雨粒がシールドを叩いても不思議ではない雰囲気だ。



 PAの二輪用駐車スペースには先客がいた。所沢ナンバーのBMWは、R25/26/27のどれかであるらしい。250cc単気筒シャフトドライブ、唯一普通二輪免許で乗れるBMWということで記憶にあった。
 ライダーとおぼしき黄色のカッパを着た男性は、建物前のベンチで横になっていた。どこから走ってきたのか定かではないが、1950年代に製造された単車である。それが高速道路を走っている。。。

 自分の単車も同じ250ccの単気筒だが、5年後の状態すら想像がつかない。サイドバックにカバーをかけながら、何か少し憧れみたいなものを感じていた。

 結局、雨は一滴も降らなかった。
 富士山は垂れ込める雲で裾野まで完全に覆われていたが、箱根の峠を越えた辺りで切れ間に青空が見え始め、関東平野目指して下りだす頃には、空は完全に夏の色と日差しを取り戻していた。

-***-

 見上げるようなビルの森を貫く、コンクリート壁に護られた空中道路。急カーブとアップダウン、合流が連続する上に車線に余裕のない首都高を抜けて、緊張感から開放されたのは13時を回った頃だった。

 首都高まであと30kmという小田原厚木道路との合流辺りで渋滞に巻き込まれ、すり抜けはしない主義を守りつつ、大人しく車列に混じってのろのろと進む。3車線のうち2車線を塞ぐ事故現場をようやく通り過ぎるまでに、1時間ほどを要した。
 天頂から降り注ぐ灼熱の日差しがGパンを焼き、汗でTシャツがべっとりと体に張り付く。汗でシールドが曇る。30分を過ぎた頃からは、じわじわと危険な領域まで上昇していく油温計の針を睨みながら、路肩に停車するべきか否かをずっと迷っていた。
 油温計が100℃を越えたあたりでどうにか海老名のSAに滑り込み、単車も人間も一息つくことが出来たのであるが。

 1時間に1回の休憩を挟みながら、時間当たり60kmほどのゆっくりとしたペースで東北自動車道を北へと向かう。ツーリングマップルは東北に差し替えた。変わり映えのしない高速道路の景色に、見慣れない地名の看板だけが目新しい。
 後方乱流に巻き込まれない距離を維持しながら、長距離トラックの後ろに張り付く。ここならすれすれに無理な追い越しをかけられることもないし、無理やり前に割り込まれることもない。80km/h強の安定したペースで連れて行ってくれる。コバンザメの心境が理解できるような気がする。

 関東平野を抜け、いくつもの街を縫うように繋いで峠を越え、焼けつくアスファルトの上をどれほど走っただろうか。顔をしかめるほどの熱気をかき分けて、泳ぐように前へと進む。路面の白線を巻き上げるように、オドメーターが回転して距離を進めていく。

 ようやく逃げ込んだPAは、脂ぎった蝉の鳴き声で満ちていた。

-***-

 背中に回った日差しが、ゆっくりと赤味を帯びはじめた。東北自動車道は大きなアップダウンを繰り返しながら、次第に標高を上げて山の中へと分け入っていく。

 まもなく福島に差し掛かろうとした辺りで、単車にガクンと衝撃を感じた。急激に速度が失われ、路肩に寄って停車する。しばらく何が起こったか理解できなかったが、トリップメーターに目をやってはたと気付く。ガス欠だ。

 リザーブに切り替えて再び走行車線に戻る。家を出たときにリセットしたカウンターは、600kmを少し越えていた。首都高に乗る前に再び給油してから、300km余りを走っている計算になる。
 時計を見ると、16時を回っていた。家を出たのが、もう何日も前のことのような気がする。

-***-

 白石のICで降り、今日3度目の給油をしてキャンプ場を目指す。つい先ほど決まった今夜のねぐらだ。
 途中道に迷って30分ほど右往左往しているうちに、空模様が怪しくなってきた。少し風が出てきたようだ。遠い雷の音と共に気温が急に下がり、雲が低く垂れ込めて乳白色の流れが山の頂を包む。

 ようやくキャンプ場を見つけて滑り込み、17時を過ぎて閉店の準備を始めていた売店で手続きを済ませた。一息つく間もなく木立の中のサイトにテントを立ち上げる。フライシートを被せるのを待ち構えていたかのように、杉の梢を大粒の雨が叩きだした。

 先ほど通り過ぎてきた温泉に日帰り入浴にいこうかとも思ったが、外は豪雨と形容して差し支えない状況だった。それよりは近くにある近くの銭湯―迷っていた時に前を通った―は、もう閉まっている時間だ。
 汗まみれの体も不快だったが、そのままマットに寝転んだ。なにより、もう何もかも面倒くさかった。

 少し気温が下がったとはいえ、湿気も加わってテントの中は蒸し暑い。タオル地の寝袋のインナーだけを下に敷き、そのまま眠りに就いた。

-***-

 3時間ほど眠っているうちに、雨は止んだようだ。あたりは幾分ひんやりとしているが、連日の熱帯夜どんよりとした熱気を追い払うまでには至っていない。

 しばらくぼんやりとしていたが、どうも寝付けそうにない。とりとめのない思考が、迷路へともつれ込んでいく。

 明日は晴れるだろうか。降られてもなんとか八戸まではたどり着けるだろう。しかし、帰りがずっと雨だったらどうだ。果たして家に帰りつけるのだろうか。
 いや、例え晴れていても単車が故障したら。夏の高速道路を荷物満載でぶっ通しで走らせるのは、250ccの空冷単気筒にあまりにも過酷ではないだろうか。そういえば最近タペット音が大きくなってきたような気もするし、前輪のタイヤはそろそろ交換時期の筈だ。次から次へと不安が襲ってくる。

 きりがない。弾みをつけて上体を起こす。こういう時は何か食べるに限る。よく考えてみれば、キャンプ地に着いてから何も食べていない。
 買出しをする余裕もなかったし、わざわざ出かけるような時間でもない。持参した米を炊き、お茶漬けの素を使って雑炊を作った。火加減を少し失敗したが、食べられないほどではなかった。侘しい夕食である。

 空腹がなだめられると、どうにか気分も落ち着いた。サンダルをつっかけて向かった流し場で顔だけ洗い、再びテントに横になる。
 いつしか風は止み、湿った大気は地表近くに澱んで近くの草むらはそよともさざめかない。辺りはしんとして、か細い虫の音だけがフライシートの下から忍び込んでくる。

(The 1st day Fin.)

8/9 晴
 杉林を貫いてテントを照らす、夏の日差しの暑さで目が覚めた。午前7時半、少し寝坊したようだ。昨日は雲の中に姿を隠していた磐梯山が、青空の中に白雲を従えて堂々たる山容を示している。



 テントと寝袋を近くの枝に引っ掛けて干す間に、朝食代わりに昨日の残飯を流し込み、洗い物を片付ける。雨と朝露で濡れたテントは荷物の一番上にくくりつけた。
 近くにテントとタープを張っている2組のファミリーキャンパーは、まだ家族揃って夢の中のようだ。単車を道路まで引っ張り出し、エンジンをかける。時計を見ると、目覚めてから1時間余りが経過していた。

 昨日通った道には桃の直売店が並んでいたが、いずれもまだ開店前で人気はない。心残りを感じるが、そのままICまで引き返す。
 まだ朝の時間帯だというのに、気温は既に30℃を越えているようだ。少し前までかかっていた霧はすっかり晴れ、雲ひとつない青空が広がっている。今日もまた、暑くなりそうだ。

-***-

 PAで赤いZZR1100の青年ライダーと少し会話する。今朝早くに首都圏を出てきたという。盆休みに北海道ツーリングの予定を入れていたところに北海道での仕事が入り、社長に直談判してバイクで渡道することを認めてもらったらしい。仕事が終わり次第、ツーリングに入るそうだ。
 そこを先発した私はすぐに抜かれたが、次の休憩に入ったPAで給油中の彼に再び出会う。会社のバンと共に移動しているようだ。もう一度手を上げ、別れを告げる。

 仙台、一ノ関、花巻と北上を続ける。この辺りは東北有数の穀倉地帯だ。両側に黄金色の絨毯を広げて、高速道路がその中央を貫いていく。
 昨日と変わらぬ熱気の中、アスファルトを2つに割る白い点線を数えながらオドメーターは進んでいく。景気づけに歌を歌いながら、自分の知っている曲の少なさに驚いた。

 盛岡を過ぎると、左手に岩手山が見えてきた。東北道も標高をぐんぐん上げて、体にまとわりつくようなねっとりした風が、幾分涼しげに感じるようになった。景色は次第に山の緑と空の青に塗り潰されていく。

-***-

 安代のJCTから八戸自動車道に入る。今まで登ってきた高みから、太平洋を目指して下り坂が延々と続く。
 遠くに風力発電の風車を望見しつつ、ふと気付くと左右の木々の様子がこれまでと違う。目を凝らせば、杉とヒノキからエゾマツとトドマツの林に変わっていた。



 ようやくここまで来た。回しつづけているトリップメーターは、もうすぐ1,000km。思わず笑みがこぼれる。
 『枝振りが天までトドけ、と上に跳ね上がっているのがトドマツ。届かんでえエゾ、と下に垂れ下がっているのがエゾマツ』 林産学科卒だが、大学で習ったわけではない。大学では、こんな面白いことを教えてはくれない。

 理由ではなかったが、きっかけではあった。これを著書で教えてくれたあの鉄道旅行家がこの世を去ってから早数年、明日には8回目の渡道を果たすことになる。



 時折思い出したように追い抜いていく車以外、バックミラーはがらんと空を映したままだ。下り坂に入って、文字通りの重荷から開放された単気筒エンジンが、嬉しそうにビートを奏でている。時折歌を口ずさみながら、北海道へと続く道を下っていく。

-***-

 坂を下りきって、午後1時八戸着。

 鉄道で何度となく通過している街だが、駅が中心部から離れていることもあって市街地は初見に近い。まずはフェリーの乗り場を確認するべく街外れに向かう。もっとも、フェリーの出港までにはまだ15時間ほどあるのだが。

 フェリーターミナルでタウンページをめくり、今夜の宿を探す。出港は午前5時、夏場は90分前に受付を済ませなければならないので、3時には宿を出る必要がある。民宿の類は除外し、安そうなビジネスホテルを探して予約を入れる。チェックインは午後4時からとのことで、まだ2時間以上時間があった。
 「何名様ですか?」との問いに、大人1人とバイク1台です、と答えたら大爆笑されたのは何故だろうか。
 大人しく近くの温泉でのんびりしていればよいものを、親指はスタータースイッチを押し、手がハンドルを切ってUターン。どうも北海道を前にして、少々浮き足立っているようだ。

 八太郎大橋、八戸大橋と八戸港を見下ろす2本の大きな吊り橋を渡り、県道1号に入る。太平洋を見渡す道は、やがて大きなアカマツの防風林に沿って、入り江の白い砂浜と岬の黒い磯を交互に見比べながら東へと伸びていく。



 八戸に到着する少し前辺りから、南の空に夏の入道雲がむくむくと頭をもたげてきていた。ちょうど北へ逃げる格好になっていたのだが、どうやら追いつかれたようだ。右手の山にかかった黒い雲の奥の方から、ごろごろと雷鳴が聞こえてくる。

 20kmちょっとの海岸線ツーリングを切り上げ、R45に出て八戸にハンドルを向ける。戻れば、ちょうどホテルに入れる時刻だろう。

-***-

 どうやら、今日の雷様は平野の方まで降りてくるつもりはないらしい。夕刻の混雑で大渋滞の八戸市内は、変わらずの晴天だった。一方通行の大通りに戸惑いながら、大通りから1つ路地を入った所にあったビジネスホテルにチェックインする。
 早朝3時に発つことを告げ、宿泊代は先に支払った。夕食はコンビニ弁当で済ませ、昨日の雨で濡れたテントと湿気た寝袋を干して装備の手入れをする。

 先ほど古本屋で買った本を読みふけっていたら、午後10時を過ぎていた。慌てて電気を消し、眠りに就く。行程の1/3を無事にこなした安堵感と共に。

(The 2nd day Fin.)

8/10 晴
 下弦の月が、東の中天で微笑んでいる。

 信号が赤く明滅する八戸市街を抜け、フェリー乗り場に向かう。寒い。気を抜くと歯の根が合わなくなる程だ。



 夜明け前のフェリーターミナルに集まったバイクは、全部で7台。ちなみに、私の単車以外はすべて大型である。手持ち無沙汰な1時間余りを過ごし、バイクを先頭にフェリーのランプウェイを渡る。



 2等船室のカーペットに居場所を確保し、荷物を落ち着けて船内を一通り回ると、もう何もすることがなくなった。出港の汽笛を聞きながら寝転がって本を読んでいると、フェリーはすぐに港内を出たらしく、大きくなった揺れが眠気を誘う。

 案内所で毛布を借りて、もう一眠りすることにした。道程は半ばに満たず、ようやく往路をこなしただけではあるが、なんとかここまで来ることが出来た。
 船が港に着けば、そこはもう北海道だ。

(continue...)

8/10〜12

8/13 雨のち晴
 往路では半円を描いていた月の輪郭も、今日は幾分痩せて見える。フェリー埠頭からライダーが街へと散っていく。早朝3時の八戸市は、やっぱり寒かった。

 IC前のコンビニで、自宅宛にキャンプ道具を宅急便で発送する。今日は関東地方まで走り切る予定だから、近くに適当なキャンプ場があるとは思えない。それに、真夏の本州で野営するのはもううんざりだ。

 店員に配達票を渡すと、明後日には届くとのこと。持ち主より先に自宅に帰るとは、なんともずうずうしい荷物である。いっそのこと、単車ごと私も運んでもらえないものか。



 配達日指定は16日としておいた。自宅到着予定日の翌日である。大きな荷物が1つ消えて、前輪に問題を抱えた単車の負担も軽くなった筈だ。オーバーヒートの心配も、少しは遠くのものとなるだろう。
 身軽になった単車で、八戸自動車道の通行券を受け取る。橙色に照らし出された夜の街並へ、単気筒の鼓動が冷やりとした大気に独り木霊していく。

 中天から投げかけられる淡い月光は、路面を照らすほどの力を持たず、真っ暗な坂道をヘッドライトの明かりだけを頼りに駆け登る。辺りに街灯はなく、往路で見たとおり人家の気配もない。半ば開いた瞳のような下弦の月が、行く手を見守るように共にゆっくりと高度を上げていく。
 時折カーブを示す反射材が、前方の闇に赤くふわりと浮かび上がる。対向車のヘッドライトがぽつり、ぽつりと前から後ろへと流れていく。冷気が刺すように冷たい。ステップの上で、脚の震えが止まらない。

-***-

 東北自動車道に合流すると、東の山の稜線から夜が白々と明け始めた。左右にそびえる影絵のような山々が、山腹に陰影をつけながら次第に緑色を帯びてくる。

 道はやがて峠を越え、朝の光が差し込む谷間へと下っていく。大きな左カーブを回って、降り注ぐ光のシャワーの中へ飛び込んだ。
 朝もやが煙る畑に繁るのは、どうやらタバコのようだ。夜露に濡れた大きな扇のような若葉が、朝日を透して黄緑色に輝いている。

 日は昇ったものの、相変わらず寒い。PAで着込んだフリースは、ほとんど何の役にも立たなかった。上に着ているのがメッシュジャケットだけなのだから、当たり前ではあるが。
 気温18℃の電光掲示板を見るともうどうにも我慢できず、次のPAでカッパを着込む。脱ぐことが出来たのは、それから1時間後のことだった。

-***-

 盛岡の辺りで、空模様が怪しくなってきた。入ったSAの案内板の情報によれば、岩手県南部で雨が降っているらしい。ちょうどフェリーの2等船室で隣同士になったライダーが食事を取っていて、軽く会釈を交わした。

 前タイヤの残り溝が少ないので、雨が降ったら一般道に降りることにしていたが、さらに南では晴れているようだ。今日中に関東までたどり着いておきたいし、まあなんとかなるだろう。脱いだばかりのカッパに再び袖を通し、単車と人間に雨天装備を施す。隣ではキャンプ道具を満載した250ccアメリカンのライダーが、やはりカッパを着込んでいる。

 SAを出発して程なく、ザアッという叩きつけるような音がして、単車は激しい雨滴のカーテンへと突っ込んだ。

-***-

 間もなく南の空が明るくなり、峠を越えたところで雨は止んだ。すぐに夏の日差しが戻り、湿気が加わって不快感が一気に上昇する。
 PAに入ると、先ほどのアメリカンのライダーがカッパを脱いでいた。

 「すぐに止んでしまいましたね」 私の方からそう声をかけて、暫しの歓談が始まった。
 道内ライダーだと言う彼は、お盆休みを利用して本州へキャンプツーリングに来たそうだ。目的地はとりあえず、福島だという。

 15分ほど話していただろうか。名残惜しい気もするが、会話を切り上げて出発する。走行車線を90km辺りでしばらく走っていると、

 思いもかけず、次の休憩に入ったSAで再び彼に会う。またしばらく会話を交わし、では、と別れを告げる私に、「一眠りするか」と独り言のようにつぶやくと、彼はPAの階段を登って木陰のベンチの方へと歩いていった。

 良い旅を。

-***-

 ねっとりとした時間が、熱気を帯びて流れていく。なかなか進まない時計の針と共に、太陽がじりじりと東から西へ回っていく。黄金波うつ田園地帯を抜け、喧騒纏う市街地を通過し、緑ざわめく峠を越える。
 この車輪一回転ずつが家へと近づけてくれていることを考えながら、歌を歌って景気付ける。レパートリーがすぐに底をつくのは、往路ですでに経験済みだけれど。そしておそらくは前タイヤの磨耗が原因であるだろうハンドルのブレは、依然として収まる気配がない。

 栃木県に入った辺りで、今日何度目かの休憩を取った。二輪用の駐輪スペースはなく、隅の方の1区画に単車を停めた。照りつける日差しの中、車止めに座り込んで缶コーヒーを啜っていると、通路を挟んだ向こう側の黒っぽい乗用車の後部ドアが開いて、人が降りてきた。
 老年の男性だった。病院の室内着のような服を着て、片手には杖をついている。

 こっちに来る、と思ったのは気のせいではなかった。「これは何と言うバイクかな」
 カワサキのエストレヤという250ccのバイクであることを告げ、「メグロの末裔、とでも言った方が通りがいいですかね」と言うと、老人は大きく笑った。名古屋から北海道に行った帰りだということには、やはり驚いたようだ。まあ、こんな物好きにそうはお目にかかれまい。

 話を聞くと、昔、キャブトンの500ccで東北を回ったことがあるという。お金持ちだったんですね、と私が言うと、再び大きく笑った。満足げだったのか、苦笑だったのか、私にはよく分からなかった。

-***-

 宇都宮ICを降りて、市街地へ向かう。ホテルのチェックインにはまだ時間が早い。遠回りしてレッドバロンに寄り、エンジンオイルの交換と錆びの浮いてきたチェーンへの注油をお願いする。

 待ち時間で適当なビジネスホテルに予約を入れ、中心街に向かう渋滞の車列に混じって夕暮れ時の街並をとろとろと進む。疲れではっきりとしない頭と重い体を叱咤しながら、ようやくホテルにたどり着いた。
 宇都宮の名物といえば、餃子である。もはや遠出する気力も体力も残っていないので、ホテルの近くでコンビニを探して情報誌でも立ち読みすることにしよう。運が良ければ近くに店があるだろう。

 ホテルを出て徒歩30秒。商店街の通りに出たところに、黄色い看板を掲げた餃子の店があった。以前に雑誌で見た記憶のある名前だ。暖簾をくぐると、壁一面を埋める有名人の色紙。
 水餃子と焼餃子、それぞれ1皿ずつにライス、ビール中瓶1本を胃袋に納め、予想外の幸運に感謝して店を出る。

 部屋でベッドに倒れこんだ時、それから5分と経っていなかったのはまず間違いない。

(The 5th day Fin.)

8/14 晴
 ホテルを出たのはまだ涼しさの残る6時過ぎだったが、コインランドリーで洗濯物を処理し終わると、時計の針は8時を回っていた。昨日までと変わらぬ暑さの中、引き続き東北自動車道を南下する。

 今日は東京で人と会う約束があるので、首都圏を抜けて神奈川あたりで宿を取る予定だ。移動距離はやや控えめの200km弱、旅も6日目となって疲労の蓄積も相当進んでいる。

 日が高くなるにつれ、遠くの景色がぼんやりと霞み出す。気温もぐんぐん上昇しているようだ。休憩に入ったSAで木陰のベンチに座ると、缶コーヒーを飲んでいるにもかかわらず眠気が襲ってきた。少し休憩して行くことに決め、木のベンチに横になる。
 犬の吠える声で目が覚めた。腕時計を見ると、15分も経っていない。見ると、ガードレールに繋がれた犬がキャンキャン吠えて、騒々しいことこの上ない。辺りに飼い主の姿はない。
 目覚めはこの上なくよろしくない。バカ飼い主め。

-***-

 行きで首都高に懲りたこともあって、川口JCTから外環自動車道に入る。時刻は10時を少し回ったくらい。時間はあるので、予定通り練馬で保存されている鉄道連隊の蒸気機関車を見に行こうと思う。
 地図を頼りに江古田の辺りをぐるぐる回っていると、突然エンジンが止まった。セルをかけてもだめ、燃料はある。どうやらオーバーヒートのようだ。油温計が100℃を超えている。

 歩道に押し上げ、街路樹の日陰でしばらく休ませると、エンジンはかかるようになった。再び探索を始めると、しばらくして道端に野ざらしになったそれを発見した。



 少し気を滅入らせながらも写真撮影を済ませ、環七に出る。正午少し前、これがいつもなのか、それとも盆休みだからか、ものすごい渋滞である。排気ガスがもうもうと立ち込める中、小さなアップダウンを繰り返しながら、高架橋とビルの林をくぐり抜けていく。

 オーバーヒートの心配をしつつ、どうにかこうにかR1に出て川崎市まで車輪を進める。とりあえず駅前のカプセルホテルにチェックインすることに決め、コンビニの軒先でアイスをなめながら時間を潰す。

-***-

 チェックインから一息つく間もなく、すぐに東海道線で東京方面に向かった。秋葉原で降りて、待ち合わせ場所に向かう。軍事系のサイト管理者が集まる小さなOFF会である。

 久しぶりに会う人達との時間はすぐに過ぎ、散会となって再び電車の人となる。闇の中に遠く近く、不ぞろいの大きさで無数にきらめく街の明かりが、車窓を横切っていく。

(The 6th day Fin.)

8/15 雨のち晴
 雨の最終日。

 カプセルホテルの玄関で雨天完全装備に身を固め、一歩外に出るとたちまちシールドの上に無数の水滴が弾ける。今日中に家に帰ろうという決意を挫けさせようとするのか、土砂降りである。

 ずっしりと体の芯が重い。疲労が圧し掛かってくるようだ。

 自宅まであと300km、高速道路は使えない。昨日辺りから、単車も人間も限界という名の崖っぷちを走っているのだから。這いずるようにR1に出て、西へと向かう。ハンドルのブレは日を追って酷くなるようだ。速度を上げると片手を離すことが出来なくなる。
 道路標識を見落として、乗るつもりのなかった湘南バイパスに入ってしまう。路面は雨水で鏡のようになり、追い越し車線を抜いていく車が水を巻き上げて叩き付けていく。そうして一瞬視界を失うことが二度三度。

 私は一体、こんなところで何をやっているんだろうか。

-***-

 バイパスを降りたところで耐え切れずにコンビニに入り、栄養ドリンクを一息に飲み干し、チョコレートを齧ってコーヒーで流し込む。しばらくして、カフェインが効いてきた。体と脳はぼんやりしているのに、目だけがキンと冴えていく感覚。
 これでもう、興奮状態にある頭は眠りを受け付けない。これまでそうしてきたように、ベンチで横になって疲労回復を図ろうとしても。

 退路を断って、目前に控えるのは箱根峠。今日最大の難所である。これを越えたら静岡辺りで宿をとろうか、とさえ思う。時計を見ればまだ午前10時、小降りになったとはいえ雨は未だ止む気配がない。

 白い霧の向こう側から、徐々に姿が明らかになってきた電光掲示板が示す気温は14℃。お盆の箱根新道は、東北よりも北海道よりも寒かった。朦朧とした意識の中、目の前に現れたカーブを体ばかりが機械的に、センターラインの黄線と路肩のガードレールの間をなぞって曲がっていく。自分はどこか高い場所から見下ろしているような感覚。

 箱根八里を越えたところでR1に戻り、高度が下がるにつれて霧は晴れたが、頭の方はぼんやりとしたまま。疲労の所為か、側頭部に鈍痛がする。富士川の道の駅でしばらく横になってみたが、あまり意味はなかったようだ。

-***-

 由比付近をどうやって走ったのかは記憶にない。

 バイパスを繋いで間に休憩を挟み、ひたすら西へ。宇津ノ谷峠を越え、大井川を渡る。掛川を過ぎた頃にようやく雨が上がった。これで高速に乗れる。
 カッパとブーツカバーを脱ぎ捨てて、掛川から東名高速に入った。ブレるハンドルを押さえつけながら走行車線を80km/hで走っていると、乗用車どころかバスやトラックまでが隣をビュンビュン追い越していく。車の流れに取り残されている。けれど、これ以上ペースは上げられない。

 歌を歌う気力も湧いてこない。歌うことすら出来ないという状態を、この時初めて体験した。目の前のアスファルトと白線が後ろへと流れていくのを、じっと見つめている自分がいる。
 PA毎に停車し、立て続けに缶コーヒーを流し込んで休憩にならない休憩を取る。ベンチに横たわっていても、頭の中心がヒリヒリと焼けるように熱い。

-***-

 萎える気力を奮い立たせながら、愛知県に帰ってきた。岡崎のICを降りてしまえば、あとは見知った道。

 けれど、R1は道路工事で大渋滞だった。余裕がないのは分かっているつもりだが、頭痛が耐え難くなってきた。どうしようもなく苛立ちが募る。
 我慢が限界に達した安城付近で左折し、R1を逃げ出す。地図を頼りに、通ったことのない田園地帯のど真ん中を突っ切ってR23へ。少し遠回りになったが、精神安定上はすこぶるよろしい。
 もっとも、昨日辺りから走ることに若干食傷気味ではあるが。

 家まで残りわずかの交差点、信号待ち。腕時計は16時を示している。
 また明日から、日常が始まる。何事もなかったかのように、足元で単気筒がトントンと変わらぬリズムを刻んでいる。

(Touring Fin.)

Total mileage is a little more than 2,750km.



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